護摩の炎に心を澄ませる

2012-01-06
 初詣というと大晦日の深夜から出向く方も多いが、小生は至ってマイペースである。以前に三が日に参詣したことがあるが、その混雑の状況は尋常ではなく、寒風の中を寺の境内より外周でかなりの時間並ばなければならなかった経験から、敢えて物事が動き出すこの時季になってようやく寺を訪れる。それでも祈願の為の「お護摩」だけは昨年暮れのうちに請願しておくと、「元日」の朱印が押された「お札」が手に入る。

初詣先は西新井大師と決めている。親戚が近所に住んでいることもあって、幼少の頃から思い出深いお寺である。初詣参拝客の数は、関東圏でもかなり多い方で特に東京下町の人々の信仰は厚い。弘法大師(空海)の文化的偉業への興味ということもあり、小生の古代文化への好奇心を密教寺院への参拝が刺激する。

1時間に1度、本堂では「護摩祈願」が執り行われる。大勢の僧侶が御本尊を前に密教独特の火を起こして読経をするものだ。この日も、本堂に上がりその祈願での御利益を請うた。僧侶が事前説明を行った際に、2mほどに上がる炎が、密教では仏様そのものであるという解説をした。そんなこともあって、読経が鳴り響く中、立ち昇る炎を見つつ心を澄ませてみた。不規則に搖動する炎は、時折小さな火の粉を天井へと放ちつつ、力強く燃え上がった。その空間と炎の濃淡が何かを浮かび上がらせるような幻影をもたらす。仏の前で心を澄ませるというのは、こうした先にあるのだと無心の入り口程度までは行き着けた思いであった。

思い返せば、私立中学受験・就職・社会人として修士論文を完成させた歳など、人生の節目には、必ずこの寺で心を澄ませてきたと振り返る。今年1年の自分自身の歩む道を祈願しつつ、日本という国の安泰を願わずにはいられなかった。
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桑田・すき焼き・有楽町

2011-12-24
 朝から落ち着かなかった。大晦日に予定されている“桑型佳祐年越しライブ”のチケット発売日であったからだ。午前10時からの一斉発売に照準を合わせて、書斎のPC前でかなり力みながら時を待った。時刻が近付くにつれて、当該サイトの接続状態が混み合い始め、いざ10時になると予約購入画面まで行き着けない始末。それでも一瞬の幸福を期待して諦めずに何度も試みを続けた。ようやく画面が進んでいったかと思うと、「予定枚数終了」の表示。万事休すである。

 長年の親友と共に、今年は年越しライブに行って元気を出そうと約束していたので、大のファンとして甚だ無念な結果である。少年の頃に野球のチケットを買い求めるために、朝暗いうちから自転車で球場に乗り付けて長時間並んで購入した際のことが思い出された。労力を賭けて熱意を表わせる制度ならば、自信があったのであるが・・・。

 午後は、ジムの年末イベント「すき焼き」。何も鍋を参加メンバーで食べるわけではない。様々な種類のプログラムを経験できるように、鍋の具のように構成されたイベントプログラム。日頃はトレーニング目的に合せて、自分の好きな内容にしか参加しないが、こうした機会にそれ以外のトレーニングも体験できるのが嬉しい。今までに体験したことがなかった“ゴムチューブ”を使用したトレーニングがかなりキツいことを体感。来年は改めて様々なプログラムに参加し、バランス良い身体作りに励もうと決意も新たにした。

 帰宅して夕刻からは、有楽町で“従兄弟会”。ある従兄弟の高校生になる娘が、全国高校選抜バスケットに出場するというので、彼らが久し振りに東京へ出てきたというもの。東京在住のもう一人の従兄弟夫婦と小生の妹とで、美味しい焼き鳥をいただきながら、楽しい時間が過ぎた。血縁関係というはなぜか不思議なもので、親兄弟によって繋がる深い人間関係である。


慌ただしさの中にも、充実感も湛えながら過ごした時間。


久し振りに日記風に小欄を構成したくなるような年の瀬の1日。
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師走とロースカツ

2011-12-02
 今年も師走になった。だが“街が華やいで”という表現がやや形式的に聞こえてしまうような世間の流れ。表面的なイルミネーションなどよりも、内面的に“華やいだ”要素が欲しい昨今である。人々は内向きに各自の殻にこもり、人の流れが為す偶有性の中に身を置くことを避けてしまう。せめて人間的に気分を安定させる話ができる場所は、ぜひとも確保したいと思う日々である。

 毎度、木曜日は英会話の前にお決まりの洋食屋さん。美味しい料理もさることながら店主夫妻の温かい心情に癒される。そして90歳の老人が、この日もマイペースな歩みで来店。小生がロースカツを食べていると、ワインにウイスキーを飲んだ後に、やはりロースカツを注文した。一般的に90歳でロースカツを平らげるというのは、大変羨むべきことだと思う。肉の脂肪分をも栄養として、老人の長寿は日々継続していく。週1回のこの時間は、何とも心が“華やいだ”状態になるのである。

 果たして90歳になった時点の自分が、ロースカツを食べているだろうか?などとも考えながら、むしろこのように前向きに酒を飲み、栄養を摂り、人との交流を絶やさない姿勢が、90歳という年齢を充実させているとも悟る。
 帰り際に、ぜひとも英会話教室の曜日ではない日に、忘年会をやろうということになり、老人の携帯電話を教えてもらった。師走であるからこそ、こうした人との交流を充実させ、来年への想いを更に膨らませて行きたいものである。

 ただロースカツを食べるということが、実に“華やいだ”気分へと誘うこともある。

 
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二日酔いの日曜日

2011-10-24
 前日の同期会で、流れに任せてやや飲み過ぎた。目覚めても頭の痛い日曜日の朝。しばし、二度寝を決め込んで布団の中で過ごす。前の晩に何を飲んだかなどが脳裏で反芻されて、「あの種類がよくなかったのか」などと不毛な“犯人捜し”をしたりもする。

 珈琲のちトイレにシャワーを済ませれば、ほぼ回復してくるのではあるが、未だ何となく重い身体。柑橘系飲料などが浸み込むように吸収されていく。

 TVをつければスポーツの秋が花盛り。全日本大学女子駅伝の走りが目に飛び込んでくる。先週、自らが走った経験と重ねて、以前よりは当事者の気持ちになって映像を観るという気持ちの変化を自覚する。

 何となく夕方までの時間を過ごし、休養十分な日曜日。

 笑点・サザエさんから大河ドラマまでと定番の日曜の夜が過ぎていく。
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てるてる坊主の心境

2011-10-15
 翌日の天候が心配な時ほど憂鬱なものはない。何とか晴れてほしいと願えば願うほど、雨になったりする。古来から天候に対する願望を叶えようとする風習は、様々にあるようだ。中でも“てるてる坊主”は、誰もが体験したことある手軽でユニークな風習の一つである。

 幼稚園や小学校の時に、運動会や遠足、それに野球の試合の前日にはよく“てるてる坊主”を作った。ティッシュを何枚か重ねただけの簡易なものだが、それでも本気で願を掛けていた気がする。眉毛を書いてはいけないとか、瞳はどのようにした方がいいとか、たぶん生育地域や親の教えによって、様々な伝承が付随していたはずだ。


 久しぶりに、明日が晴れてほしいと願う1日を過ごした。

 文の京12時間リレーの当日であるからだ。ただでさえ、12時間の耐久レースは未知数な上に、雨で身体が濡れてしまったり足元がスリップすれば困難極まるという予測ができる。

 チーム結成の契機となったカフェに午後になって出向き、店主夫妻と談笑。やはり自ずと、明日のリレーの話題となる。やはり、雨が激しかったりすると「心が折れないか」と心配になるという話になった。

 まあ、自然の采配には逆らえない。

 心の中で“てるてる坊主”を作る心境になって、まずは自分の身体を大切にと就寝。


次回のブログ更新には、その12時間が終了しているのである。
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惰眠を貪る

2011-10-09
ここ数年は朝方の生活を送っている。早朝に起きて数時間こそ、一番脳が冴えていると気付いたからだ。起きることにはあまり抵抗もなく、午前中の長さが際立つ。しようと思っていたこと以上のことが消化できるのも、早起きのお蔭だ。

まあ時には例外もあるもので、この日は徹底して寝た。世に“惰眠を貪る”という成句があり、まさに「なまけて眠ってばかりいる」という語感で使用される。比喩的に使用すれば、「月日を無駄にする」という語感も生じる。

だが、この「惰眠」というのは大変気持ちのいいものだ。起きねばならないという強迫的な感覚を排除して、いつまでも寝床の中にいられる感覚はたまらない。まさにこの時季、やや寒気を感じるようになれば尚更である。

時折目覚めては、夢の内容を反芻してみたりもする。するとなぜか通常では思い返さない記憶の断片が再生することもある。夢に出てきた内容を重視するならば、すぐに起き上がらずに“惰眠”が最適である。

こんな日があるのもまた幸せというもの。

怠惰を敢えて実践して、反動的な行動を期待したりする。
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宇宙への憧憬

2011-09-19
 子供のころから宇宙への憧れがあった。TVでウルトラマンシリーズを見て、異星人の存在が真実だろうと信じていた。そしてウルトラ警備隊などに入隊して、宇宙をウルトラホークで駆け巡りたいという憧れも抱いた。そんな「異星人が真実だろう」は未だに否定も証明もされていないことである。それほど人間と宇宙との付き合いは果てしないもので数十年で解決するものではない。

 現在、国際宇宙ステーションに搭乗している古川さんも、ウルトラシリーズに憧れて、現実に宇宙飛行士になってしまったのだという。もともとは外科医であったが、医師になって9年後に、毛利さんが広報する「宇宙飛行士公募」を偶然見て、「自分の人生は!」とその道を志したという。その思いっきりはというのはやはり宇宙という限りないロマンの誘惑によるものだったと想像に難くない。

 この日はNHKで「宇宙の渚」シリーズがBSを含めると長時間にわたり放映されていた。人類のロケット製作の歴史やアポロ計画なども含めて、「宇宙への憧憬」が心の中にある小生としては、ワクワク感が抑えられなかった。月に向かう為には、破格の推進力で高速飛行ができるエンジンを製作しなければならないと懸命に取り組み続けたボン・ブラウン氏の足跡。土星の外周リングの更に外側にあるリングには、水蒸気を発している衛星・“エンケラドス”が存在しているという紹介。更に生物存在の可能性がある水ばかりの惑星“グリーゼ581g”。そこにどんな生物が存在しているかを推測する生物学者もいる。全て「宇宙へのロマン」がこうした探究心を煽るのである。


 このように未だに小生自身も「宇宙への憧憬」はやまない。しかし、古川さんと違い宇宙関係の仕事を志さなかったのは、ひとえに理系科目が苦手なのと遠心力に対しての耐性がないことによる。物理は極めて嫌いであるし、遊園地のコーヒーカップでも御免蒙りたいくちである。(上下落差ならまだ挑戦の可能性が残されているが)

 ならば、どこでこの「宇宙への憧憬」を形として叶えるか。

 それは宇宙の中でも奇異な存在である「人間」を探究することに至った。人間の使用する言語・文化・文学とは、果たしてどんなものであるのか?それを解明するのも宇宙ロマンへの答えとして外れている訳でもない。この地球人たる人間の営みこそ、宇宙最大の謎であるという気がするのだ。これぞ人文学の新たなるスタンスではないだろうか。


 考えてみれば「ウルトラシリーズ」は物語であった。特に“ウルトラセブン”に描かれた異星人視点からの人間批判や心のドラマには涙した。今やウルトラ警備隊の連絡装置であるTV腕時計レベルは、身近に携帯という形で現実化している。だが心の部分、異星人が現れることにより、自らを地球人と認識する視野の広さには至っていない。

 ぜひとも地球人として「言語・文化・文学」の追究する使命を叶えてみたいものである。
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徘徊のち1人じゃないの

2011-09-13
 あれこれと思索を巡らしている。資料を読み、自分なりに解釈し、新たな発想はないものかと思考が逡巡する。

 時に新規な発想をするには、椅子に座っていると駄目だ。立ち上がって広くもない自宅の中をあちらこちらと徘徊する。足が動くと脳に新たな反応が生まれる。

 更に変化が欲しいときは、声を出す。文学の名句名文を読み上げるのもよし。落語の一節を一人語りするのもよい。

 それでも脳が飽和状態になると、音楽に合わせて唄う。好きな歌を好きなように唄う。そのリズムの躍動が、新たな血液を醸成してくれるかのようだ。


 そして仲秋の名月。この日の月(東京)は見事であった!


 そうこう自宅内を徘徊していると、黒い動くものに出会う。この家では初見。一瞬目を疑ったが、やはりあの動き。家具の下に逃げ込まれた。



 この家の中、実は一人じゃなかったんだね。


 改めて月を見上げて、また名句が脳裏に浮かぶ。
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3週間を鑑に映して

2011-09-07
 ようやく身体が日本時間に合ってきた。「人は物事を習慣化するのに21日間かかる」という話をこの日にも聞いた。その“21日間”近くをアメリカで過ごしたことになる。“習慣化”へ向かっていた身体が、何とか3日目で軌道修正されてきた感である。同時に自ずと気持ちが新たに起動する事柄も重なり、一気に行動開始という1日である。

 “思い立ったが吉日”すぐに実行動に移ることができるのは、休暇中の充電量が高いためでもある。諸事を済ませるべく外出。上野・銀座と巡り歩きつつも、様々な構想が頭の中を駆け巡る。身体にも精神にも躍動感が漲ってくる。

 一通りの諸事を終え、夜は馴染みのワインバーへ。3週間ほど日本を留守にしていた間の様々な出来事について店主と談笑。人に自らの体験を語ることが、何よりの相対化になり自己把握になるのは自明のこと。語ることで過ごしてきた3週間を鑑に映す。そんな閑かな会話ができるのも、この店ならではだ。


 琥珀色に光るワイングラスに映し出される3週間と今後の接続点。

 計り知れない力が湧き始めて、ワインのお蔭で安眠なる夢心地へ向かう。
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身体の順応性

2011-09-06
 時差には強いと自負している。その上にフライト前日の徹夜とか、飛行機の中での過ごし方等に工夫を凝らしているつもりだ。それにしても身体というのは自然な順応性を備えているものだ。約3週間過ごしてきた時間帯に適応して、睡眠や排便などの時間配分が変化する。自分の意識で調整できる部分と、身体の順応性にしか委ねられない部分があるのも事実であるようだ。

 帰国翌日から朝早くから起き上がり、洗濯等を済ませて次々とやりたいことをして過ごす。比較的快調に時差調整ができたと思いきや、就寝後になると珍しく夜中に目が覚めたりする。このあたりに無意識の順応性が顔を覗かせる。順応性は裏を返せば他の基準への移行でもある。3週間に及ぶアメリカでの睡眠リズムが、未だ身体内に潜んでいる。

 夜中に目が覚めると、よせばいいのにメジャーリーグの試合が気になる。意識の中にもアメリカにいる感覚から離脱してない部分もあった。数日前にはその球場のスタンドで応援していたという思いがつのり余計に目を冴えさせる。“時差ボケ”というのは実に個人個人の状況に大きく左右されるものだと改めて感じる。

 アメリカ滞在で十分にできていなかったトレーニングに復帰しようと、この日は目論んでいた。夕食を早めに済ませジムに行こうと思いきや、珍しく身体が言う事をきかない。おまけに雨が降ってきそうな状況を見ると、そのまま家から出ることはなかった。どうも身体リズムを整えるのには、時間を要するようだ。

 もともと飛行機という文明の利器によって発生した“時差ボケ”。ヒトが自然に逆らうことの最たる例だ。

 何となく自然に反し「造り出した」ようなこの文章。ここにもそんな自分が顔を覗かせる。
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