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TOKYO2020開会式への思い

2021-07-24
「いま この時を生きて」
東京1964からの思いをいまに
様々なドタバタの中で実行したスタッフに感謝しつつ

TOKYO2020開会式が行われた。コロナ禍での開催への賛否、根本的に開催地選択の考え方や誘致段階の疑念、競技場建設の混乱、エンブレム問題やJOC会長にはじまり担当演出家・音楽家などの辞任、ともかく我々にとってこの五輪開催は何のためにあるのだろか?という疑問が10年以上にわたって燻り続け終着駅に到着した感じがした。この開会式を観るための心のもち様として、どうしても「東京1964」からの「時間の距離」という思いを抱く。1964年10月10日快晴であった「あの日」には新生児で9ヶ月目であった自分を思う。いま「思う」と書いたが、もちろん記憶があるわけではない。記憶にある「生まれた家の白黒TV」の前で、きっと母に抱かれている新生児がわからないと承知の上で、家族らに「東京オリンピック始まるよ!」などと声を掛けられている光景を想像するだけだ。物心つくようになって、古関裕而作曲の「オリンピックマーチ」に乗って日本選手団が入場する姿や、聖火に点火される光景が自らの生誕の年であったと自らで「物語」を創ってきた訳である。あらためてその1964年が、かの大戦から19年しか経過していないことに驚かされながらである。

長い間、東京に住んできた父母とともに、いまは宮崎でTOKYO2020を観るという感慨もある。きっと国立競技場に上がる花火やドローンが自宅から見えたかもしれない、などと実家の屋上や住んでいたマンションのベランダからの光景を想像する。無観客でありながら競技場周辺の駅では尋常ではない混雑であったとも報じられているが、あらためて東京の特権的な妄想を抱いた人口集中度の異常さを思わざるを得ない。潔く宮崎の地からTV中継で観ることの自然さと客観性を自覚し、すっかり納得している自分がいる。この記憶を妻と二人で脳裏に刻みつけていることに、未来への希望を見出すのである。MISIAの国歌独唱から思うのは、『古今和歌集』では「わが君」という初句になっていて、「自らが敬愛する人」の命が永遠たれと祈る歌だということ。妻や親子と親愛なる人々との関係が豊かであれと常に僕は願う。選手らの入場に際して、妻は世界地図を見ながら「この国は何処だ」と確かめる。僕もどの程度に自分が把握できているか?など問い返しながら、多くの人々がスポーツに取り組み世界が平和であることを願うばかり。この場面を観ることで、紛争も兵器も政治的な諍いがいかに愚かなことかが自覚されるはずなのだが。クライマックスは聖火台の点火、競技場内でリレーする役割に長嶋茂雄さん・王貞治さん・松井秀喜さんが登場したのにはいささか驚いた。2004年アテネ大会で野球代表の監督を務めるはずであった長嶋さんは、直前で脳梗塞で倒れ念願が叶わなかった。その後の人並み外れたリハビリの末、回復されて公の場にも姿が見せられるようにはなった。昨夜の場面もご本人の強い意志なのであろうか、「国民栄誉賞」受賞のお三方を起用する采配の思考が気にならなくもない。

長たるものが「実」のない話をするのはいづこも同じ
東京1964以後、豊かになる昭和で育てられた僕たち
ゆえにTOKYO2020から何を学び未来を創ればいいのだろう。


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勝つと思うな思えば負けよ

2021-07-23
「負けてもともとこの胸の」
もとより「勝つ」とは何であろうか?
再びソフトボールから学ぶこと

世間は4連休、暦や手帳が印刷される際はまだ確定しておらず、手帳主義な僕はこの月曜日19日に祝日の感覚が拭えず、急場な感じで連休初日を迎えた。だが前期の7月前半までの忙しさが身に沁みていたので、この日はゆっくりして再びTVでソフトボールを観戦した。前日の豪州戦に比して予想通り厳しい闘いに、2008年頃の感覚だと明らかに豪州の方が強敵なのだが、メキシコ代表のチーム力は明らかに高かった。連投で上野由岐子さんが先発、前日の反省も活かして立ち上がりからさすがな投球を見せていた。5回に本塁打を浴びて1対1の同点とされるも、日本代表が1点を勝ち越した6回は走者を二塁に背負うものの中軸打線を打たせて取り最終回を迎えた。ここで多くの人は、上野さんの完投勝利を思い描いたであろう。だがメキシコベンチの選手たちはこの追い込まれた場面で試合を楽しむかのように盛り上がり、走者を出して無死一・三塁から中堅手が取れるかと思うような当たりが安打となり同点。(*中堅手が捕球するに越したことはなかったが、それでも犠牲フライとなり同点は免れなかっただろう)その後、上野さんは続投するもライズボールが主審のマスクを直撃、ここで主審が首をケアする時間を取ることになり、上野さんの投球リズムが完全に失われた。

救援登板したのは弱冠20歳の後藤さん、前日も好投はしていたがこの窮地での登板は大きな重圧があったであろう。しかし逆転のピンチを冷静かつ繊細な投球で好救援、延長タイブレーカー(*前イニングの最後の打者を走者としてイニングの最初から2塁に置いて点が入りやすくする促進ルール)に入り、無死一・三塁のとされてから三者連続三振と見事に日本代表の窮地を救った。8回裏に一死三塁から日本代表はスワップ(叩きつけるようにして高いバウンドの内野ゴロにする打法)して三塁走者がスタートするエンドランを敢行、見事に本塁に滑り込みセーフ。誠にソフトボールらしい決勝点のもぎ取り方で予選リーグ2勝目を飾った。さて、この試合を見て学んだことを覚書としておこう。試合前のメディア報道も試合後のインタビューでも、「今日誕生日の上野さん」が常に語られていた。2対1で最終7イニング目も続投した上野さんのに「誕生日完投勝利」という、さも日本メディアが喜びそうな見出しをベンチまでもが妄想したことが気になる。(*監督インタビューでそんな趣旨の発言があった)一つに家族のようなチームワークであるように見える日本代表チームの「家族愛」の美談を作ろうとしたのは確かだろう。だが冷静に試合を見つめれば、連投で微妙に疲れの見える上野さんを「完投主義」で続投させた判断は、今後の米国・カナダなどとの試合での「誤ち」につながらないのだろうか?好救援の後藤投手にこれだけ抑えられる力量が首脳陣に見極められていたなら、7回当初からの登板の可能性も探るべきではなかったのか。あくまで「結果オーライ」でこの試合を勝利したことを、日本代表は省みておくべきだろう。あらためて、最終7回を1点差で「勝つ」と思い込んだ油断に恐さがある。前述したように劣勢でもベンチで選手たちが楽しんでいたメキシコ代表の心にも、多くを学ぶべきではないか。

美空ひばり「柔」には
「せめ今宵は人間らしく 恋の涙を 恋の涙を 噛みしめる」こんな歌詞もある。
メディアが作ろうとする「物語」を注意深く拒みながらスポーツ観戦をしたいものだ。


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学位をもったソフトボール部顧問

2021-07-22
ただただソフトボールが観たいゆえ
試合の状況を冷静にひとりTV観戦
ソフトボールに夢中になっていたあの頃

「東京五輪が」を主語とすることなく、「ソフトボールが始まった」という思いで講義のないこの日の午前は「日本対豪州」の試合をTV観戦した。先発投手は北京2008の栄冠の立役者・上野由岐子さんだ。北京以降は五輪開催国が欧州・南米であったせい(*ソフトボールの競技人口が極端に少ない地域・だいたい世界でも競技人口の多い国は限られる)もあり「ソフトボール」が正式種目から外れるという悲運の中、13年ぶりに世界のマウンドに帰ってきたというわけだ。初回、立ち上がりは慎重に丁寧になりすぎた投球、四球などで走者を満塁と貯めてしまっての死球。これは豪州の右打者が打ちに行く動きを見せながら、右肘にボールが当たっての判定。たぶん日本の審判であれば、その動作から「死球」とは判定しなかったのではないかと思う。上野さんの表情にもそんな気持ちが表れていた。しかし、2回以降は7奪三振の好投、かつての豪速球のイメージではないが、あらゆる球種を巧みに制球し打者に付け入る隙を与えない投球は見事であった。プロ野球でもそうであるが、自分の投球スタイルを年齢とともに変化させられない投手が多い。そんな中で「ドロップ系」や「チェンジアップ」を主軸とした投手としての進化は、選手としての思考の柔軟性を感じさせた。

なぜ僕が「ソフトボール」に詳しいかというと、中高教員だった20年間において担当部活動顧問を続けていたからである。2009年に学位を取得したが、そこから数年間は「学位をもったソフトボール部顧問」としてあれこれ考えさせられていた。試合など引率して炎天下で采配をしていると、片や自分はなぜ文学系の「博士号」を取得したのに、このような立場であるのだろう?という思いが絶えなかった。正直なところ、当時の部員たちにとっては「悪い顧問」でしかなかったと申し訳ない思いが逡巡する。新任1年目まだ非常勤講師であったが、同好会から部活動に昇格したばかりの「ソフトボール部」を顧問の先生があまり面倒を見なくなったという現場の事情もあり、練習に付き合うことになった。野球の経験があり大好きであった僕は、ボールも投げられない女子部員が試合に出て勝てるようになるまでの過程に、崇高な「成長物語」を体感したのだった。折しもソフトボール好きや経験者が入部してきて支部大会を突破して都大会まで進むようになった。野球とは違うソフトボール独特の投球や戦術に戸惑いながら、他校の顧問の先生らから多くを学び若き教員としてその時にしかできない「青春」時代を味わうことができた。時に地区大会の責任者を務めたり、高体連の役員に名を連ねたこともある。当時の先生方には誠に申し訳ない思いもあるが、僕は「文学研究」という人生の道を選ぶことになる。人生に欲張りであるのは罪なことなのだろうか?などという思いを持ちながら、僕は今回の「ソフトボール」に世界で僕だけの思いをもってTV観戦しようと思っている。

あくまで競技を緻密に
その魅力を見極めたいがため
ソフトボール部顧問としての学びは、時折「教師論」として学生に話している。


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あくまで平和の祭典として

2021-07-21
「クリスマス」「ハロウィン」「バレンタイン」
本質的な意味を忘れた乱痴気騒ぎになってきた社会
あらためて「平和」を誓うための機会として

いま僕の命があるのは、誠に奇跡的なことだと思うことがある。76年前のかの大戦で多くの人々が犠牲になり命を落とした。その際に何とかして「つないだ命」によって、僕らには「生命」が与えられた。僕の父などは子どもながらに「機銃掃射」を受けて、かろうじて近くの家に飛び込んで命を「つないだ」のだと聞かされたことがある。「その時もし」を想像すると、かの大戦は他人事ではなく僕自身も「戦争体験者」であるように思っている。子どもを上空の圧倒的に優位な位置から鉛の弾丸で撃ち殺そうとする狂気、そんなことがこの地球上にあってはならないといつも思ってきた。恋し合い愛し合う人々が戦争の狂気によって引き裂かれる、その悲惨さを当事者意識を持って語り継ぐ必要がある。「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」では、講義終盤のこの時期に毎年、このようなテーマを考えてもらっている。「生まれ変われたなら また恋もするでしょ」(サザンオールスターズ『蛍』)を課題曲として聴きながら。

かの大戦の反省を噛み締め平和を誓い、戦後復興が為されたことを世界に表明したのが1964年(昭和39年)の東京五輪であった。世界的な祭典ができる人々の力、そしてアスリートたちの活躍に多くの人々が勇気をもらったことだろう。57年前の「TOKYO1964」には内外に大きな意味があったのは確かだ。その記憶はない僕は、その後幼少の頃から五輪を観るたびに「平和」のことを考えていたように思う。だが五輪でのテロ行為やボイコットなどを知るたびに心を痛めてきた、果たして「平和の祭典」は名目だけなのかと。そして特に1990年代頃からの際立った商業主義的な雰囲気の漂う大会に少しずつ疑問を抱いてきた。その内幕が今回の「TOKYO2020」で暴露されつつある。あらゆる意味であくまで「平和の祭典」であるべき大会。この大会を敢行することが「新型コロナ感染」を克服したことに直結するのだろうか?片や人々は東京で「緊急事態」の生活を強いられながら、世界にだけ良い顔をする体裁と建前の大会になることを懸念する。「平和」は決して建前や体裁では創れないからである。冒頭に記したように、明治以降に西洋の行事を本質を無視して取り込み、乱痴気騒ぎをしてきたこの国のかたち。僕たちは何を祈り、この祭典を見守ればよいのだろうか?

厳しい状況には目を瞑り
突き進む先に何があるのだろうか?
「つないだ命」を思いつつ冷静な目を失わずにいようと思う。


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当事者の立場で考えるために

2021-07-20
生徒・学生の身になって
「親身」=「肉親であるかのような」
みずからその身になって・・・・・

人はどれほど「当事者」の立場で物事を考えられるのであろうか?昨今はあまりにも所謂「当事者意識」のない事例が社会に溢れており、常々考えさせられる機会も多い。また新型コロナ感染が世界中に拡大したことで、各国の政府や社会の「当事者意識」も浮き彫りにしたようにも見える。為政者の被災地視察などの姿勢を見るに、果たしてどこまで「当事者意識」があるかなどと考えてしまう。社会や国家の問題ばかりではなく、個々人の考え方にも他者に対してどれほどにその人の立場で考えているかには差が大きいだろう。基本的に「親身」であるはずの教員の場合でも、その深浅は少なからずあるものだ。文字通り「親身」とは、「親の立場になって考える」ことであるはずで、「親」には「みづから」という意味もある。「自ら生徒・学生の立場になって」というのは簡単なようで難しい。かつて城山三郎の小説『今日は再び来らず』に登場する予備校は、「親身の指導」を主眼とした教育をしていたことが思い返される。

相互に「当事者意識」を持つためにも、「自らを語り合う」機会が貴重だ。僕らの仕事で言えば、どれほど講義などを通じて学生が語る機会を設けるかが重要である。昨日はオムニバス(複数教員)担当講義で学生が「国語教師を目指した理由」を主軸に、どのような学生生活を送り講義から何を学んだか?などを盛り込んだスピーチを発表する機会であった。自身の小中高での「国語教育体験」なども語られて、クラスの学生同士も僕ら教員も「当事者意識」を持つのに有効な機会であったと実感できた。「みづから」を語るということは自ずと個性的な内容になり、手元にメモ書きはあるにしても学生らの「私はこのようなわたしだ!」という訴えるような語りに未来が見えた。僕ら教員は、そんな個々の志望や学びの立場になって教員となる支援をしなくてはなるまい。「教える」とは「自ら気づく」ことでもある。「学ぶ」とは其処にいる人の立場を「真似ぶ」ことでもある。僕らは向き合っている「当事者」の立場になる想像力を養うためにも、文学を学んでいるのだ。

「この子らを孕りし日の母のことふと思う試験監督しつつ」
(『俵万智』サラダ記念日より)
〈教室〉ではいつも「親身」になって考えることが必須だと教えてくれる短歌だ。


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ふるさとの〜ああ宮崎やみやざきや

2021-07-19
「宮崎のワイン豊かに酌みゆけば土地の縁とは人の縁なり」
(『みやざき百人一首』より)
この素晴らしき土地の縁

国文祭・芸文祭みやざき2020の開会式の冒頭で、『みやざき百人一首』の短歌を高校生が朗読する場面があった。短歌朗読のあり方を再考させられるとともに、「ふるさとみやざき」を声から実感でき豊かな気持ちになれる機会でもあった。人にとって「ふるさと」とは何であろうか?単に生まれ育った土地のことだろうか?愛すべき土地を人はいくつ持てるのだろうか?若山牧水は、生まれ育った日向市東郷村(現東郷町)坪谷についても「ふるさと」として歌に詠むが、青春時代を過ごした延岡、短歌創作活動に励んだ東京、終の住処と定めた静岡県沼津、とそれぞれ土地にそれぞれの愛着を持っていた生涯であった。僕の場合は、生まれてから疑いもなく東京で育ち、東京で学び、東京で仕事に就いていた。大学教員になるにも受け皿の上で多数が存在する東京が一番いいものかと思っていたが、公募による縁で着任した「みやざき」であまりにもよき出逢いに恵まれている。あらためて冒頭に記した俵万智さんの短歌が、ワインのごとく身に沁みる日々である。

「人の縁」のうちでも、学生たちとの出逢いは貴重である。学生らの出身地は宮崎とその隣県が多いが、学生時代を過ごすことで「みやざき」への愛着が増す者も少なくない。隣県出身者が宮崎県教員採用試験を受験して教師になってくれる場合があるが、指導教員として大変にありがたい気持ちになる。さらには県内出身者にも「みやざき」の魅力や「人の縁」を再発見してもらうことまでが指導教員の責務ではないかと思うことがある。生まれも育ちもという場合、意外とその土地の魅力に気づかないことが少なくない。だが真に「人の縁」を結んだ時に、「ふるさと」は包容力も豊かにその「ひとり」を虜にするものだ。此処で出逢えるという「奇跡」に、自らの魂が共鳴しているとでも言えばよいのだろうか。そんな濃密な「人の縁」を結んだ時に、人は初めて「ふるさと」を自覚できるのかもしれない。仕事や家庭や趣味など、その土地に住む理由も人それぞれであるはずだ。ゆえに一人ひとりが胸の奥で考えてみよう、「わたしのふるさとはどこだろう?」と。笑顔で待っている人が思い浮かぶ場所、それがあなたの「ふるさと」であり、それはいくつあってもよいのだ。

「人は誰も愛求めて 闇に漂う運命(さだめ)」
(サザンオールスターズ『TSUNAMI』より)
人の縁であなたを包み込む場所はいつも此処にある。


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ひととせにひとたび恩師を偲ぶ宵(酔い)

2021-07-18
卒論指導ゼミ第一期生
それぞれにお子さんらとオンライン画面に
先生!今年も集まりました!

2008年3月25日、初の卒論指導ゼミ生8名が卒業式を迎えた。「卒論指導ゼミ」とはいっても僕は非常勤講師、本来は専任の先生と分担して数人をという話であったが、どうしてもこのメンバーは分断できないと固く思い、無理を言って1年間の「特殊演習(卒業論文を指導する時間)」を担当させてもらった。彼らが卒業年次を迎えた4月に僕の恩師でもある指導教授が入院、「2科目の代講をお願いできないか」との恩師の電話に即答で担当を承諾した。それが、3年生の演習科目とこの卒論指導である。恩師は入院3ヶ月が経過した7月18日に急逝、夏休みの「卒論指導合宿」には僕とともにこの4年生の指導に当たるつもりであった恩師は、志半ばでこの世を去った。あまりの悲しみに僕自身の研究は大いに停滞したが、4年生である学生らは「卒業」がかかっている。予定通りに夏合宿で「卒論中間発表」を実施し、秋学期以降も提出である12月末まで僕が卒論指導を行い、2月の口述試問を経て3月25日を迎えることができたわけである。

あの7月18日から14年が経過した。七夕ではないが「ひととせにひとたび」は、必ずこの「卒論指導ゼミ一期生」の同窓会が開かれる。12年目までは恩師の墓参、その後に高田馬場などでの飲み会を開いていたが、昨年からはオンライン開催。昨夜はオンラインで2度目の会となったが、遅くまでメンバーたちと良いお酒を味わった。メンバーはそれぞれに仕事でも中堅として成長し、家庭でも子育てに勤しみ、そのお子さんがたも画面でお茶目な表情を見せてくれる。ある意味で、オンライン飲み会であることの利点であるかもしれない。14年を経過して毎年思うのは、このメンバーは僕自身を大いに育ててくれることだ。卒論指導の際も、平安朝の物語・日記についてあらためてGWに夢中になって基礎文献を読み漁って指導に臨んだことが思い返される。その後も、卒業論文としてどのレベルを目指すべきか?とか、平安朝文学に留まらず多様な分野において議論を妥協しない姿勢も僕の学びになった。現在の職場で専任になって演習や卒論指導をする際の大きな礎を彼らに学んだといっても過言ではない。今年もまたオンライン画面越しに、多くを学ばせてもらった。

他に類を見ない酔えるオンライン飲み会
現在のゼミの学生らよ、君たちにはこんな先輩方がいるぞ
恩師からいただいた命のゼミ生たちである。


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題詠「日」ー宮崎大学短歌会7月例会

2021-07-17
雷鳴とどろく中zoom歌会
簡単で日常的なことばこそ難しい
「もう帰らない あの夏の日」(「想い出の渚」ザ・ワイルドワンズ)

宮崎地方は早々に梅雨明けしたのだが、ここのところ豪雨に加えて雷鳴が絶えない。大学への通学時間でもかなりの雨が降り、びしょ濡れになって登校した学生を多く見かける。徒歩では困難であると思い、僕も自家用車を使うが駐車場から移動するタイミングを見測るのが難しい。スマホの雨雲アプリによって、どうにか小止みになる時間帯を探して行動している。夜7時からzoom会議室に、会員が集まって来る。学内の事情からすると図書館などでの対面ができないことはないが、むしろzoomが便利で継続しているところもある。今後は対面回も入れることを検討しつつ、zoomを併用する形式がいいだろう。自宅で時間に制約されずに行えるのはよい。さて、今回の題詠は「日」、簡単でまさに日常的に使用することばなので、むしろ活かすのが難しい印象を受けた。すぐさま栗木京子さんの「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)」が思い出されるが、これほど「日」を有効に活かした名歌はそう多くはないだろう。

出詠13首・参加7名、「誕生日」「日曜」「一日」「白日」「今日」「日輪」「天日」「夏の日」「昨日」「ひ」「かの日」などの使い方で歌が並んだ。自ずと時間意識を視点にした歌が多く、過去と未来を巻き込んだ素材との絡み方が読み応えとなる。また「日」の漢字は「太陽」の象形文字であり、日光への意識がある歌も特徴的であった。例えば、「夏の日」とあれば何を想起させるか?それは説明的で考え直した方がよいか?冒頭にワイルドワンズの1966年(昭和41年)のヒット曲「想い出の渚」のサビの部分を引用したが、海辺の恋の設定を「夏の日」だけで読んでいいものか?砂浜を思わせる素材との関連で、どうしても想いは「渚」に至る。あくまで個人的な趣味の領域もあるが、「夏の日」とビーチの結びつきは強く感じてしまう。我々は必然的に嫌でも「日々」を重ねて生きている。「日」とは「太陽が出てから沈むまで」つまり「お日様が見えている間」ということ。時空を彷徨いながらも、僕らは「今日」しか生きられない宿命を持つ。かけがえのない歌会の「日」が、「この日」も貴重であった。

しばらくは学期末レポート・試験等の期間へ
次回は8月上旬の開催
宮崎地方の豪雨・雷雨はいつまで続くのだろうか?


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暗黙の了解をやめよう

2021-07-16
言わずに本当にわかっているのだろうか?
「同じです」と同調し安易で楽に寝そべる
真の理解のために質問をするということ

「きっと最後には”正解”が出される」ことを、〈教室〉で学習者は待つ。自ら地頭(じあたま)で考えることなく、〈教室〉という集団が同調する教師の言う「唯一無二」と思い込まされた「正解」を「覚えれ」ばテストの成績は上がると誤った学習観で幼少の頃から育ってしまう。たとえ「自分はそうは思わない」と意見があっても、低学年のうちは言うかもしれないが、次第に〈教室〉の同調圧力に「個性的な意見」を言うのが面倒になって無言を貫いてしまう。学習に「ワークブック」などが併用されればなおさら、そこに当て嵌められる「答え」を暗記すればテストは乗り越えられるという考え方が強化される。個々の学習者が考えず議論せず板書だけをただノートに写すだけの、「死んだような授業」が横行する。また「受験」という一発勝負に勝つことが唯一の王道だと本人は親に思い込まされ、場合によると学校の教師までも地頭で考えるよりも、「テスト対策」のみに躍起になる。なるべく無駄なことはせず、ただただ「対策」をするのが効率的な学習だという環境によって、多様で豊かな発想の授業などは「無駄」だと封印されてしまう。こうした果てにこの社会では、「暗黙の了解」ということに疑いを持たない人が育てられ続ける。

大谷翔平のMLBでの活躍を観ていると、チームメイトや相手選手との交流に豊かな姿が爽快に映る。もちろん専属日本人通訳がいるのも承知の上だが、そのコミュ力には注目したい。オールスターでも混雑した場所を通り抜けようとして報道のテレビカメラクルーにぶつかってしまうと、いったん立ち止まり「大丈夫か?」と言うように気遣う態度を取った。春先のキャンプで生の選手を観る機会も僕は多いが、日本のプロ野球選手はなかなかここまでの気遣いをする人は少ない。(まったくいないわけではないことは述べておく)自分が向き合った人がどんな関係であっても、「暗黙の了解」で済ませることはない。大谷翔平は高校時代から自らの目標を「曼荼羅チャート」に記していたことは有名だが、その中には「人間性」という点も決して欠けることはなかった。その総合的な成長の末「160㎞の速球」と記した当時の目標を、MLBオールスターで叶えている。欧米人においては誰かが〈教室〉で話したら、必ず「質問」をすることが習慣化している。なぜかその行為を「相手を批判している」と受け取る日本人は、前述した〈教室〉環境により醸成された悪弊であることに自覚的ではない。欧米人は「質問もしない人は話を聞いていなかった(理解していない)」と解し、大変に失礼な行為と考える。国会でさえ真っ当な議論が為されないのは、こうした負の教育環境と生活上の悪弊があるからではないかと最近はつくづく感じている。果たして我々は「東京五輪」に「質問」をして来たのであろうか?「暗黙の了解」のまま、開幕を1週間後に控えている。

自分が意見を言わないと自分の理解度もわからない
僕の指導教授は自らの考えへの学生の迎合を一番戒めた
世界から遅れをとっている原因を身近に考えねばなるまいと思う。


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ワクチンとオールスターとうなぎ

2021-07-15
何を信頼してこの身を護るか
父母のワクチン接種が2回完了
副反応を気にしつつランチの幸せへ

世界の情勢を観ると、ワクチン接種を進めた国では「コロナ以前」のようにイベントなどが普通に行われている。休暇を取って朝からMLBオールスターゲームの中継を観たが、「ショーヘー」が「1番DH」という史上かつてない出場を成し遂げた米国コロラド州のボールパークは、満員の観客で溢れていた。本塁打や安打は出なかったが勝投手となり、最速100マイルの速球はこの試合に登板した投手で一番の急速。多くの米国人ファンの中には「Show Time」などのボードを掲げたり、写真入りのTシャツなども着て、真夏の祭典に絶叫し酔っていた。映像を観る限り観客席での飲食も解禁されており、マスクなしが当然のごとくビールなどを飲んでいる姿も見えた。正直なところあまりの羨ましさに、再び僕自身がボールパークで野球に熱狂できる日を思い描きつつ、自国の置かれている状況を憂えた。米国のワクチン接種率はほぼ50%弱、またサッカー欧州選手権が行われた英国は70%弱、ともにマスクの着用義務はなく競技場等の収容率は100%を叶えている。さすがにワクチン2回接種や検査陰性の証明が入場には必要であるようだが、それもいかに?とさえ思う。ただ米国では2万人以上、英国では3万人以上の感染者が出ており、人口比はさることながら日本全国の感染者より多いものの、ピーク時よりは圧倒的に減り重症者の割合も大幅に改善されているようだ。

英国のジョンソン首相の弁などを聞くと、「我々はコロナとの共生を歩む」というのだろう。自らも感染したこのリーダーの弁は、時に粗々に感じることもあるが、国民へのメッセージ性に長けている。口先のみならず、ワクチン接種を「加速させる」ことを実現した。一方この国では「7月までには高齢者接種が完了」して「国民全員分のワクチン確保」が成されているはずではなかったのか?ワクチンそのものへの科学的評価や接種できるまでの行政の対応など、僕たちはこの国の現実を明治時代以降にいつも憧憬して来た欧米諸国といつも比べながら、歯痒い思いを強いられた。母は自ら電話予約をすると言い、初回ではまったく繋がらず不可、ようやく2回目の機会で執念の予約ができた。ワクチンの副反応などにも深い疑念を抱き、打つや否やにも大いに悩んだことであろう。最終的に自らの意志で父母とも、この日に2回目の接種を終えた。幸いに宮崎県は、全国でも接種率が高い県である幸運もあっただろう。それにしても、自らの身を護ることにおいて、この国における情報の錯綜ぶりは将来を深く憂えるほどに危うい。「切り札」だと言ったワクチンの接種加速を煽りながら、今になって「減速せよ」と寝惚けたことを言う始末だ。ワクチン接種の父母の送迎をして、副反応の状況も鑑みつつ帰りにランチをともにした。僕自身が安心して食べられると判断したお店で、落ち着いてうなぎを食す。信頼できるのは自らの判断力のみである。

野球を生で楽しみたい
付和雷同の応援ではなく個人で個人なりの責任で
僕たち一人ひとりがどんな国にしてしまったのか?考え直す時が来ている。


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