(5時間+α)×4セットの充実
2023-09-24
休日を充実させるには休み方にもコツがある
睡眠・午前・午後・夜の4セット構成
本日も日曜日だが、休日は何もせずに終わってしまうと嘆くことは誰しもあるだろう。いささかゆっくり寝て起きてぼうっとしているとあっという間に昼過ぎ、何をしようかと考えているうちに夕刻になり、『サザエさん』が終わる時の歌を聞くとたまらなくやるせない気持ちになる。月曜日からの仕事へも意欲的になれず、所謂「サザエんさん症候群」のような心の持ちようである。寝溜めが有効でないと言われるように、休日でもせいぜい平日の起床時間+1・2時間以内がいいようだ。どんな日でもそうだが、朝の2時間が充実するとその日の時間は長く感じられる。1日を損した気分にしないためには、やはり午前中が鍵を握る。理想の睡眠時間7〜8時間を確保したとしても、【1日5時間1セット】としてやるべきことを組んでおくと上手く運ぶように思う。
この日は7時起床で平日より+2時間で8時間睡眠。午前中は僕の父母のために、昼食は義母とともにとり義父の墓参へ、夜は妻と二人で観ておきたいDVD映像を堪能した。概ね【5時間】を単位としておくと、糊代に1・2時間の余裕があって実に上手く運ぶことを実感した。午前午後それぞれの時間が充実していたので、夜に観たDVD「サザンオールスターズ2013胸熱マンピー茅ヶ崎ライブ」を心の底から楽しむことができた。これまでサザン・桑田佳祐さんの楽曲には人生を常に支えてもらっていると思っているが、ライブDVDの約3時間超によってあらためて心に生きる躍動が宿った。その延長上に「やさしい夜遊び」の放送を聴き、また明日への英気をもらった。かくして、ここのところやや仕事が飽和状態であったゆえに、心の底から解放する1日の充実であった。
【5時間】で何ができるのか?
テーマを立てて、せかせかではなく穏やかに過ごすのがいい
暑さ寒さも彼岸まで、時節今朝の涼風は誠に心地よい。
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大学図書館資料の未来
2023-09-23
感染拡大時期の入館者減少入館者数は回復しても貸出数は回復せず
電子版資料やデーターベースの利用が一般的になる社会で
21日(木)午前に夏季休暇中ながら、宮大短歌会の勉強会を開いた。テーマは「連作をどう読むか?」で、短歌会先輩の受賞作や連作といえば俵万智さんということで『サラダ記念日』をあらためて読み直し大いに勉強になった。参加者は限定的であったが、聞いてみるといずれも『サラダ記念日』は電子書籍でタブレット内に所有していると云う。この勉強会用の資料提供についても、PDFなど電子化されたものがありがたいと学生は云う。僕自身はPDF化が間に合わず、写真提供では文字が不鮮明な気がしたのでコピーの紙媒体を持参した。あらためて「紙資料に自由に書き込むのはいいですね」と学生は言ってくれていたが、コピー用紙を持参する我が身にやや年代を感じてしまった。かくいう僕自身も結社歌会の詠草はタブレットで持参し電子ペンで書き込みをする。何より保存が楽で物理的な容積を食わないのがいい。
副館長を務める附属図書館で冒頭に記したように、貸出冊数の減少が問題になっている。コロナ禍中にあり入館者数が落ち込んだものの、昨年ぐらいから回復傾向が見られた。しかし貸出冊数は回復しない。この現状について、各学部の先生方と意見を交換する機会を得た。各学部の専攻と分野によって、使用する資料の性質も大きく異なる。理系は電子ジャーナル・電子図書館を中心に使用率が高いが、人文社会系は未だに紙書籍への依存度が高い。概ねそんな傾向も浮き彫りになった。考えるに学生たちが「調べる」と言うとき、大概がスマホに依存しているのが否めない。だが果たして、十分に資料の信頼性を意識・選別して使用しているかは甚だ疑問である。少なくとも国文学の分野であれば、ジャパンナレッジなどのデータベースを使用してこそ「調べた」と言えると思うのだが。ある意味で学生の貸出数の減少は、大学教員が基本的に「調べる」姿勢をどう教えているかにも関わる。その上で電子書籍・(オンデマンド)データベースをどの程度に揃えていくか?大学図書館の在り方が、大きな曲がり角にあるのではないだろうか。
所蔵場所の問題、検索の優位性
諸々と考えて僕自身の資料の扱いも課題に思いつつ
タブレットが「よむ」行為に欠かせない僕がいる。
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人生は明日への夢を語ることさ
2023-09-22
なぜ短歌にこだわるのか?なぜ苦しいのに誠心誠意向き合うのか
なんのためではなく明日へ夢をつなぐ
今もまた、明るい朝焼けの東の空が眼の前に見える。平穏に9月22日が迎えられ、こうして文を綴ることができる。小欄ひとつにしても、「何のため?」と突き詰めて考えても答えはない。昨日の我が身を省みる?いや、明日へと夢に向かい生きる証?「・・・のため」などもはやどうでもよくて、ただ我の中の何かに突き動かされてぞれぞれの「今朝」を書き綴るだけだ。この「突き動かされる」という感覚は、ある意味でとても大切な感覚ではないかと思う。こうして夏が終わり秋が目覚める頃になると、なぜか大きなものに突き動かされることが多い。人生は明日の夢を語ることさ、と誰かが僕に告げくるのである。
朝の連続テレビ小説「らんまん」も大詰めだが、大正12年に関東大震災に見舞われ槙野万太郎の植物学への情熱をあらためて浮き彫りにしている。完成した植物図鑑の原稿を含めて長年の蓄積である標本が灰燼に帰すのは、ドラマとはいえ一研究者として見るに耐えないほどだ。ドラマでも万太郎はどんなに生活が苦しくとも、社会的地位によって蚊帳の外に置かれようとも、日本中の植物と語り合うという夢を諦めなかった。この点は明治大正時代の生き方として、若山牧水に通じるものと思っている。自らの生活の苦悩や社会的立ち位置が不利でも、ただ明日を夢見て突き動かされるものに向き合う。人生の大切な芯を外してはならない、ということだろう。
あの日から何度目の夏が来ただろう
我を突き動かすものに正直たれ
くり返すが、人生は明日の夢を語ることさ!
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さびしくてあくがれていく
2023-09-21
「夏山の風のさびしさ百合の花さがしてのぼるまへにうしろに」(若山牧水『白梅集』より)
よくなかったことからよかったことへ
若山牧水没後95年にあたり、今月9日特別公開講座と17日牧水祭において、延岡の菓子店「虎彦」の社長さんとさらなる親交を深めた。社長とはもとより母校を同じくし、没後90年の牧水祭では壇上で母校出身者一同が「都の西北」を牧水の遺影とともに大合唱するのを仕掛けたのも社長であった。早稲田大学校歌の制定は創立25周年の明治40年であるからちょうど牧水の在学時であり、あらためて牧水が大学の先輩であることを噛み締めて歌った。社長さんは今月の2度の機会に銘菓「若山牧水」を提供いただく大判振る舞いで、母校出身者の豪快な面を覗かせて嬉しくなった。また特別公開講座の折は「牧水歌ごよみ」もご提供いただき、有志の方々に配布することができた。
この「歌ごよみ」は、大正15年生まれの「虎彦」初代店主が、脳梗塞で右半身が不自由となりながら左手で牧水の歌を色紙に書いて希望者に進呈、その一部が日数ごとに31首書かれている逸品である。ちょうど昨日は、冒頭に記した歌が書かれていた。夏山で風に吹かれるとふと孤独なさびしさを覚える、だが自分の周囲を見回し友だちのような百合の花をさがして前へ後ろへと歩を進めるという、やはり牧水の「あくがれ」の歌である。人は生きていれば、否応無しに「よくないこと・嫌なこと」に出会う。だがその「さびしさ」を吐き出して、「よかったこと・嬉しいこと」に向かって「あくがれる(在処離れる)」ことが必要だ。奇しくもWebで、1日の終わりに「よくなかっやこと・よかったこと・明日の目標」を箇条書きにすると、精神が落ち着くという記事を読んだ。牧水の歌には、そんな人を励ます力があることを再認識した。
日々「歌ごよみ」を声に出して読む
牧水も多くの苦しみを乗り越えるために歌を詠った
人は言葉にすることで新たな希望を見出すものである。
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時代は再開発ではなく
2023-09-20
高度経済成長と都市開発の波もはやあの過去の上塗りでいいのだろうか?
西洋列強への劣等感でも戦後復興でもない新しい選択を
東京駅付近の再開発現場で起きた痛ましい事故の報道を見るに、果たして再開発に邁進する都市の工事に無理はないのか?という疑問を抱く。亡くなった方には、謹んでご冥福をお祈りしたい。東京のビルの高層化は歯止めがなく、高度経済成長期の建物が60年以上を経て老朽化したということもあるのだろう。さらに高層化が促進し今や「高層ビル群」は「新宿」のみの代名詞ではない。その地下には網の目のように地下鉄が走っていることを考えるに、元々は河口付近の沖積低地が多い「江戸」の地盤は果たして大丈夫なのかと思う。高層化は膨大な床面積を生むのだろうが、それほどのスペースが未だに足りないというのだろうか。
単純化して考えるならば、都市の米国化と言い換えられそうで、決して都市の欧州化ではない。明治時代は英国・独国などに学ぶことも多く、その延長に文化的な風潮が胎動したのも確かだろう。しかし戦後の開発の波は、明らかに米国化一辺倒であり強引で歯止めの効かない社会を生み出したのではないか?さらに時代は変化し世界は新たな持続可能社会へ舵を切ったにもかかわらず、この国は未だに過去の米国化の波から脱することはないように思う。すると明治・大正期までに継続・維持された文化的な価値まで、強引な開発で壊してしまいかねない。今こそ日本の近現代史という広い視野の上に立ち、あらゆることを自己省察し改めなければならない瀬戸際なのではないかと思う。関東大震災から100年、その教訓も忘れてしまい東京はさらに肥満となり「成人病」の症状があらゆるところで露呈し始めているのではないか。
「西洋は自然に対峙」はもはや過去のこと
近現代史の傲慢を悔い改める曲がり角にある
我が故郷の東京よいづこへ・・・・・
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馬鹿でごめんよー『杜の詩』と若山牧水
2023-09-19
「降ればかくれ曇ればひそみ晴れて照るかの太陽をこころとはせよ」(若山牧水・全集未収録歌)
「大馬鹿になるための方法」そして今
沼津市のHPを検索すると「ぬまづの宝100選」の中に「千本松原」が数えられている。そこには「日本の白砂青松100選の一つ」ともあり、この松原が、現在へ継承されて来た深い意味が実感される。晩年、沼津に居を構えた若山牧水は、静岡県がこの松原の伐採計画を進めようとしているのを知り反対運動の先頭に立つ。それまであまり社会的な運動に関心を示して来なかった牧水だが、富士を望む大自然の一部である松原の伐採をどうしても許せなかったのであろう。牧水はじめとする反対運動がなかったら、現在の「ぬまづの宝」は大きな一つを失っていたことになる。その地は古来から、多くの詩歌に詠まれたまさに名勝である。長い年月に引き継がれて来た自然を愛する優しい心を、牧水が僕らに「Relay」してくれたわけである。
サザンオールスターズの新曲「Relay〜杜の詩」がリリースされた。国立競技場にほど近い神宮の杜を望むスタジオでデビュー以来、音楽を紡いで来た桑田佳祐さんのメッセージソングである。周知のように神宮の杜は都の再開発計画が進み、多くの樹木が伐採され伝統ある球場や競技場が新たなものに建て替えられようとしている。歌詞では「自分が居ない世の中 思い遣れるような人間(ひと)であれと」訴えている。これを考えた時に、まさに牧水は「自分が居ない」永遠の自然を「思い遣れる」人間であったことになる。歌詞の中でまた目を引くのが標題にした「馬鹿でごめんよ」の一節である。詩歌や音楽に夢中になって生きるということは、ある意味で「馬鹿」ということなのかもしれない。冒頭に記したのは、全歌集に未収録の新発見の牧水の歌。何某に「大馬鹿になる方法」をと乞われて作歌し条幅に揮毫した一首として、宮崎県立図書館に保管されている。「太陽をこころとはせよ」利欲なく自然そのものを敬愛する「馬鹿でごめんなさい」。
神宮外苑には幾多の思い出が僕にもある
それを過去のものとは決してされたくはない
都会のオアシスは100年後の東京の宝のはずだが・・・
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牧水没後95年牧水祭開催ー牧水愛が繋がる空間
2023-09-18
感染拡大で4年ぶりの開催人と繋がることを大切にした牧水
記念文学館館長・伊藤一彦先生の人の繋がりも企画展にて
第73回牧水祭が4年ぶりに、従来のプログラム構成で開催された。【第1部 歌碑祭】では牧水生家前にある夫婦歌碑にて牧水短歌の朗詠が行われた後、主催者・親族・来賓の方々をはじめ一般の方から夫婦二首の歌が刻まれた歌碑に酒が献じられた。牧水のみならず妻の喜志子に向けても、多くの方々が心を寄せるのが誠にありがたき歌碑祭である。10時20分より場所を若山牧水記念文学館前の「牧水公園ふるさとの家」に移し、「偲ぶ会」が開会。牧水母校の坪谷小学校全校児童による短歌朗詠と歌の斉唱、市長らのご挨拶の後は講演「『牧水と伊藤一彦』〜牧水との出会い、そして今〜」が始まる。冒頭は「牧水の死生観」から、人は自然に生まれ自然に還る、歌は神の前に跪くように、安らぎと穏やかな気持ちになるという牧水の生き方が語られた。そして、伊藤先生ご自身の問題意識として「牧水は故郷を愛しながらなぜ宮崎に帰らなかったか?自らは大学を卒業し帰ってきた身として大きなテーマであった」と明かされた。
講演では18首の歌が引用され、「あくがれの歌人」「目線の低さ」「恋の歌」「身体性」「旅先で名もなき庶民と繋がること」「(稀だが)社会・政治問題」など牧水の魅力を伊藤先生自身が再発見してきた内容であった。僕自身が大変に感銘を受けたのは、妻・喜志子の歌「行きいかば事にも遭はむしかれども今日の嘆きにますことはあらじ」である。牧水を一流歌人にすることに自らの生涯を捧げ、自身も歌人でありながら陰の存在に徹した喜志子である。その姿勢はどこか牧水の無名の人との出逢いを大切にして尽くし、自らも一庶民として社会的評判など「名前」で生きない姿勢に通ずる。没後10年に延岡「城山の鐘」の歌碑除幕式に臨んだ喜志子の歌「千万人来つつ見るとも遂に見ぬ一人のありてたのしまぬ身や」があらためて心に響く。没後の夫の名声よりも「ただあなたにだけ逢いたい」という切なる牧水への愛が伝わってくる。講演後は「懇談会」、弁当を食した後にアトラクションなど。この場では牧水・喜志子の曽孫さんと席を隣とし、僕の新刊で語りたかったことや今後の研究の方向性など、実に有意義な時間を過ごすことができた。
その後は「伊藤一彦展」へ
展示というより「伊藤一彦をよむ」何度も訪れたい内容である
VIVANT最終回を控えつつ堺雅人さんの直筆原稿の文字のまろみに心を打たれた。
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若山牧水没後95年ーその苦悩と仕事場
2023-09-17
詩歌雑誌の発行住所として妻子がいる家から10分以内の下宿屋など
借金などの苦悩を抱えつつ自らの仕事場として
若山牧水没後95年、まさにその朝を迎えた。主治医の書き遺した診断書によれば、朝6時半頃に葡萄糖注射・日本酒100cc・卵黄入重湯などを朝食として摂るが、7時20分頃になり冷汗をかき脈拍が異常をきたし、家族・門人に見守られながら末期の酒に唇を浸らせつつ静かに眠るように息を引き取ったと云う。自らを自然の一部と考えていた牧水は、死を怖れることなくまさに自然に還ってから本日で95年の時を経た。それにしても生涯、一貫した短歌への情熱は並々ならぬものがあった。明治時代とはいえ「歌人」で身を立てるのは、そう簡単なものではない。父の危篤の報せがあった際も帰郷の旅費の金がなく、歌集原稿を出版社に強引に持ち込み金の工面をしているなど苦悩は尽きなかった。だが牧水は支えてくれる親友・知人を、心から大切にした。生涯の友・平賀春郊はもとより、先輩歌人の太田水穂、瀬戸内の島に住む三浦敏夫など、物心両面で牧水を支援した人々は少なくない。
歌人をはじめ物書きにとって、仕事場というのは実に重要だ。牧水は喜志子と結婚した数ヶ月後、父の危篤の知らせで坪谷に帰郷し後継ぎ問題で約1年間は東京に帰れずであった。その間に妻・喜志子は実家の信州で長男・旅人を産んだ。そして大正2年6月、やっとの思いで牧水は再び上京。小石川区(現文京区)大塚窪町に家を借りて信州から妻子を呼んだ。しかし、心労と発熱などで半年ほど牧水は体調が優れず、借金取りから逃れるとか赤児の長男の夜泣きなどから自宅近くの下宿屋に籠り仕事場としていた。かつて僕も現職教員として大学院に通う頃、実家の旧来の部屋が書庫としても有効なので、自らの住まいから通って論文を書き続けたことがある。個別の籠れる空間があるのは、物書きにとって誠にありがたい環境だ。現在、僕は大学研究室まで徒歩10分、昨日も市立図書館での教養講座を午前中に終え、午後からは研究室で原稿に集中した。原稿を進めるのは苦労と思う時がないわけではないが、基本的には物書きの幸せな時間である。自らの置かれる環境を思いつつ、牧水の当時の苦悩と幸福に思いを馳せている。
人は生活とか金のために生きるのではなく
自らに与えられた天命たる仕事を進めるために生きるのだ
95年の時を経て、いとしの牧水と自らを繋ぐ線を探し続けている。
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恋のちからー牧水を育てたもの
2023-09-16
「大人になると麻疹は重症化する」喜びより苦しみ多き恋の果てに
牧水が歌人として表現を磨くためのバネ
俵万智著『牧水の恋』が2018年(平成30)に出版され、牧水の若き日の恋の微細な心の動きまでが評伝文学という文体で明らかにされた。そのまとまりを見るまでも、伊藤一彦先生によって歌表現を精巧に読み解くことで様々なことが明らかにされて来た。牧水の生き様を知るに牧水と共に生きた弟子・大悟法利雄の著作の数々は貴重だが、若き恋の顛末についてはある時期までほとんど不問に付されていた。それはやはり妻・喜志子が存命であれば、また恋人であった小枝子も比較的長生きであったこともあり、各個人に配慮して解き明かすのがためらわれていたわけだ。確かに現在でも「牧水の恋」を語る時、ここまで個人的な恋を没後95年に至り話されるのかという思いを抱かざるを得ない。だが偉大な歌人・若山牧水の短歌を語るには、この恋を語らずして全貌は見えないゆえ僕たちは恋の深淵を探究することを止めないでいる。
伊藤一彦先生がよく語るのは「大人になってからの麻疹のような恋」ということ。旧制延岡中学校でもほぼ男子のみの環境で育ち、東京の大学へ行っても詩歌の学びばかり考えていた。そこへ衝撃的な小枝子との出逢い、まさに高熱を出してもおかしくない境遇であっただろう。中学・高等学校が一貫男子校であった僕自身は、牧水の気持ちがわからないでもない。一転して大学は文学部という女子比率が高い学部に進学したが、今思うにその恋愛は甚だ不器用であった。入学して間もない頃からある人にだけ夢中になり、これも今思えば広く様々な女性に視野を広げていればよかったと悔やむこともある。しかし、なかなか意中の人に振り向いてもらえず「なぜ自分の好意は伝わらないのか?」と苦悩したがために、様々な面に眼を見開く大きな力になった。たぶん、社交性も洞察力も他者との関係性も、ましてや服装のセンスなどまでが当時の苦悩によって磨かれたのだと思う。相手の心が掴めず、また己の心が相手に伝わらないという恋の苦悩を若い頃に知るか知らないかで、生きるための社会性にまで大きな影響を及ぼすと思うのである。
不器用な恋から学ぶちから
一途な純朴さと愚直さの先に
恋の底知れぬ思いを「訴える」ために「うた」があるのだ。
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牧水のバトンー歌の朗誦性
2023-09-15
例えば、あなたはどのくらいの速度で一首を読むか?概念ではない「古代性」を途絶えることなく
近現代化で失われそうなものを牧水は僕たちにリレーしてくれた
母の従姉妹にあたり僕も幼少の頃から大変にお世話になった方が、95歳の天寿を全うされた。訃報を知る前であるのに、先日小欄になぜかその「おばさん」のことを記した。たぶん前日に亡くなった「おばさん」が、宮崎に在住の母と僕に挨拶に来てくれたのだと思っている。母も「おばさん」の夢を見たと言う。牧水が亡くなった昭和3年9月17日、すでに「おばさん」はその時この世に生を受けていた。ただそれだけを考えても、牧水をさらに身近な存在として考えることができていた。僕らは与えられた命を全うすることで、前代から次代へと何かをリレーするのだ。僕は「おばさん」に心のあたたかさ・語ることの重要さ・自分の親戚ルーツを大切にするなどのバトンを受け取り、いま宮崎で生きている。2018年には宮崎にも来てくれた「おばさん」は、今も宮崎の空の青から僕たちを見守ってくれている。
牧水没後95年、「おばさん」の寿命と同じだけの時を経ていま、僕は牧水が渡してくれようとしたバトンリレーを受けるべく走り続けている。僕はなぜか牧水が歩き活動した縁のある東京の土地で、生まれ育った。それは新潟出身の母が東京に嫁ぐにあたり、「おばさん」という力強い相談相手がいたゆえに成り立っていたことなのだとあらためて思う。また牧水が「みなかみ町」を好んで2度訪問していたことは、僕が牧水からのバトンを受ける走者であることの証である。母と「おばさん」を始めとする親戚の「いとこ会」は毎年「みなかみ町」で開催され、30年以上継続したのだから。その場で引き継がれたことの多くが、僕の中には牧水からのリレーの要素も多分に含んでいたのだと思っている。新刊著書の副題は「短歌の朗誦性と愛誦性」、人は「聲」で繋がり交わり、「聲」こそが命である。「聲」を疎かにしている近現代人には、大きな代償があるかもしれない。ゆえに僕は『牧水の聲』を探究することで、リレーのバトンを確実に受け取ろうとしたのだ。
1928年(昭和3)辰年から世紀を生きる
「短歌は詠うもの」という牧水のリズム
さらなるデジタル化で失われようとしているものがある。
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