休まないことと勇気ある撤退

2017-03-26
横綱稀勢の里
左肩の状態は本人しかわからないとか
休場せず取り組みをする姿勢やいかに

個人的には、基本姿勢として「休む」のが嫌いなたちである。中高一貫校在学時には、「6ヵ年皆勤賞」なるものをいただいたほどである。現職教員となってからもほとんど「病欠」した記憶はない。だがそれはあくまで、「無理」をして成し得た訳ではない。「学校に行きたい」という気持ちに突き動かされて、病気もしないから結果的にそうなったのだと思っている。社会人となってからは、むしろ信念をもって生きる上で「必要」だと思った際には、「仕事」よりも自らの「心」に従うこともあった。その柔軟な見極めというのも、とても大切であると実感している。こうした個人的な考え方もあって、大相撲春場所で横綱稀勢の里が、左肩の負傷を押して出場したことには、ある種の深い思いを抱いた。少なくとも前日の取り組みで負傷した際には、かなりの怪我だと誰もが思った状態であっただろう。だが、本人は怪我の状態などへのコメントは控えて、この日も「出場する」ということを親方も認めたのだと云う。ニュースでも放送局によっては冒頭あたりでこの事態を報じ、ファンが稀勢の里の状態を案じながらも期待するコメントを寄せていた。

両親が自宅に滞在している時以外は、あまり大相撲中継を観ないのであるが、この日は4時半頃からテレビの前に陣取った。土俵入りに関しては、まず問題なく同じ表情でこなしている稀勢の里関。自ずとファンの期待も高まり結びの一番を迎える。懸賞は17本が土俵上を巡り、映像の関係で数え切れなかったが2巡目もあったので、その倍の数ほどの懸賞があったのだろう。稀勢の里への期待の高さが、この数に表れていた。いざ取り組みとなり稀勢の里の開始までの動作や表情は、普段と何ら変わらない。まさに”ポーカーフェイス”、喜怒哀楽や痒い痛いは表面に出さないのが、稀勢の里の信念であり美徳とされている点であろう。そして横綱・鶴竜との取り組みが開始されると、ほぼ数秒かで稀勢の里は力を入れることなく土俵外に押し出されてしまった。もちろん、負傷した左側をかばうようにである。ファンの期待は、溜息に変わる間もなかった印象であった。

さて、稀勢の里関を批判する気は毛頭ないことをお断りしつつ、聊か思ったことを記しておきたい。素人ながら「肩・胸」は、相撲にとって誠に重要な身体箇所だろうと思う。今回の「強行出場」は、医師の診断の埒外で本人が決断したことであろう。懸念されるのは「筋断裂」などであろう症状が、今後の関取生命に致命的な打撃に至らないかということである。新横綱の場所であるゆえの責任もあるだろうが、今後を長い目で見た際の責任もあるはずだ。その後、ある放送局のニュースを観ていると、ファンの方が「神風が吹くのを願っていた」とコメントしていた。満身創痍の状況で撤退ではなく抗戦し、あらぬ「奇跡」があるだろうと願う精神構造が危うい、ということを我々は痛いほど知っている筈である。野球などでも同じであるが、肩が痛い素振りを見せずに考え難い球数を投げ抜くことや、デッドボールに当たった際も痛い素振りを見せないことが、果たして選手として妥当な姿勢なのかと疑うこと多い。むしろ「痛いものは痛い」と言える勇気ある撤退こそが、個人を追い込まない社会のあるべき構えではないのか。この国の隠蔽体質は、こんな点にも関連しているのではないかとさえ思うのである。いずれにしてもスポーツならまだ、「尊い」と言えるのであるが。

残業問題、教員の部活指導など休日の扱いについても
休まず仕事に身を投じることを美徳とする体質に起因している
稀勢の里関が大横綱として、長く活躍し続けることを願うばかりである。

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卒業するゼミ生へー豊かな人間性をもった教員たれ

2017-03-25
卒業証書授与式にあたり
ゼミ第3期生5名を送り出した
毎年のように思う自らの指導の定点観測日

宮崎大学・大学院の卒業証書・学位記・修了証書授与式が、シーガイアコンベンションセンターで挙行された。今年度は教務担当ということもあって、受付の仕事があり早朝より会場へと出向いた。次第に卒業生たちが受付台の前にやって来る。専攻の学生のみならず、講義科目で担当した学生たちが華やかな衣装に身を包み、人生の大きな節目の日を迎えたのだという感慨が込み上げて来る。その顔・顔を見ていると、講義の発表でこんなことを発言したとか、こんな作品を朗読発表していたとか、個々の記憶が穏やかに蘇る。一講義担当者として、どれほどに個々の学生たちの「記憶」として「学力」として、何かが遺っているかというのは、実はとても重要ではないかと思う。小中高校とは違って遥かに多くの担当者の講義を受ける大学であるからこそ、その内容がどれほどに学生のこころに浸透しているかは、「授業アンケート」などの形式以上に講義内容の意義を表すのではないかと思うゆえである。またそれは講義内でどれほど多くの対話があって、担当者として受講者と関わった度合に左右される。聊かそんなことを考えながら、受付で式次第などを卒業生たちに手渡した。

宮崎県内小学校2名・中学校1名、大分県中学校1名、兵庫県小学校1名という内訳で、ゼミ生5名のすべてが4月から教員として現場の教壇に立つ。ゼミとあれば卒論指導が中心であるが、それと同等に様々な「体験」を提供し、現場の教壇に立つ際の「糧」を提供したいと強く思っている。更には大学生として社会人として巣立つにあたり、人間的にどれほどに成長するかという点もゼミ指導の役割ではないかと思われる。よって研究室内での活動のみならず、短歌関係のイベント・芸術家派遣活動・公開講座補助などへの参加を通して、多くの分野の人々と出逢う機会を多く持つようにしている。人は出逢いの数だけ、人生が豊かになるはずである。たとえ当初は「違和感」を覚えたとしても、それが刺激となって人間としての厚みとなって来る。仲間内というのは、分かり合えて助け合う人々として有効であるが、内輪のみに安住していると、知らぬ間に頽廃への馴れ合いが生じてしまう。「可愛い子には旅をさせろ」の諺通りに、異質なものと出逢う経験を学生時代にすることが実に重要だと思うのである。「授業」の技術に長けるのみならず、何より人として信頼される教員となって欲しい。「豊かな人間性をもった教員」それがゼミで学ぶ主眼であり、僕自身の信念でもある。

1週間後は「先生」となるゼミ生
彼らからは、僕自身の現場経験が豊富な点を称えてくれる言葉も
このくにに豊かな人間性を諦めないためにも、一人一人の教員を育てる決意もあらたに。
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「詩的現実」なら美しいのだが

2017-03-24
「昨夜(よべ)ふかく酒に乱れて帰りこしわれに喚(わめ)きし妻は何者」
(宮柊二『晩夏』より)
「のんで帰った時の俺の気持ち」即ち「詩的現実」であると宮は謂う

冒頭のような宮柊二の短歌があり、実際に妻に問うと「喚いたことなんてないじゃありませんか」と言うのに対して宮は「詩的現実」であると答えたという逸話を、伊藤一彦氏の『短歌のこころ』(鉱脈社2004)に教わった。宮の妻の述懐に拠れば、酒に酔って帰宅する際に夫は「悪いな」という気持ちを抱き、それがやがて「おっかないな」になり「仏頂面」で帰宅するのだと云うことが紹介されている。短歌というのは、特に近現代短歌は、必然的に「われ」を創作主体とし、その「現実」=「日常生活」を題材にしているゆえに、「詠んだ」内容を事実として考えがちである。実際に毎月の歌会でも、とりわけその後の懇親会の場で、何処で詠んだのか?とか、相聞歌の内実などが問われることも多い。

毎月の歌の投稿があるゆえに、最低でも月に8首は歌を創り批評の場に提出している。この「創り続ける」ことは、どこか身体鍛錬にも似て、継続することに意味があると実感を持つようになった。それらの歌の推敲をしていると、自ずと「詩的現実」が起動し始めることも感じるようになってきた。もちろん題材は「日常生活」の中に取材しているのだが、その「現実」としての「過去」を、より美化したことばとして紡ぎ出す行為をしているのである。まさに「詩的」に「あそぶ」といった感覚となり、その最中の思考は実に面白い。などと短歌を楽しみながら、巷間のニュースを目にすると、まったく何が「現実」なのかわからない混線した状況が窺い知れる。まさに「政的現実」というものでもありそうな、感覚の差異をもってした「証言」と「否定」の応酬合戦である。「美しさ」を彼方に忘却してしまった人間の弁舌は、誠に空疎な限りである。

こころの豊かさを拡げる短歌
今月の「詩的現実」も投函した
ことばは、本来美しいものだと信じる人でありたい。
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4度目のWBCに寄せてー「野球」は社会を映しているか

2017-03-23
WBC準決勝敗退再び
「世界一奪還」などという標語が空しい
今の日本野球に求めたいことなど・・・

2013年WBC前回大会に続き、日本代表は準決勝で敗退した。しかも、06年大会で「世紀の誤審」を契機に敗退したが、失点率で生き残ったあの因縁ある「米国代表」が相手である。09年大会では同じく準決勝で快勝して韓国との決勝に進み、”あの”イチローの決勝打に結びついた。イチローといえば、今やMLBの選手の中でも殿堂入り確実で尊敬される存在である。振り返れば06年大会でもイチローは対米国戦初回に先頭打者HRを放ち、「日本代表」チームや我々ファンに「米国代表」とも対等に渡り合えるという勇気を与えてくれた存在であった。隙のない走塁、俊敏かつ堅実・強肩な守備、そして緻密な精度を満たした打撃、そのすべての要素において、「日本野球」が求めるべき理想像なのである。そしてもちろんMLBの経験を存分にチームメートに還元し、「米国」などへの劣等意識の払拭や、ライバル「韓国」と闘う姿勢を鼓舞する役割を担った。それゆえに当時の日本代表の選手たちからは、尊敬し慕われるリーダー役であったことは間違いない。この2大会連続優勝は、采配や好運という要素以上に、イチローという存在を日本球界が生み出していたことが大きかったのだと、今にして回顧するのである。今回前回の2大会で準決勝敗退が続いているのは、決して偶然ではないと思わざるを得ない状況だと思われる。

プロがプロたる所以、プロ中のプロであるか?一打一球における勝負の重み。そんな緊迫感を久しく「日本野球」では、観られなくなっているような気がする。往年の巨人対中日10.8決戦、日本シリーズやシーズン中にしても、「伝説化」するような名勝負が随所で繰り広げられていた。もしかすると稿者の思い込みで、日本野球をあまり観ていないからかもしれない。だが、こうした国際大会の際に観る「日本代表」のあり方にあまり心が踊らないのは、結果と比例して何か決定的なものが欠如しているからではないかと思わざるを得ない。勝負の結果に、「仕方ない」というのは簡単である。この日も、何人かの友人とやりとりしてこの言葉を目にし耳にした。だが敢えて緻密に昨日の準決勝を観たとき、日本の誇る投手陣が好投した中で、日本野球においての守備では名手であろう選手らの失策は、甚だ痛恨なものを感じた。なぜなら、その失策の動きそのものが、室内ドーム球場の人工芝に慣れ切った身体の為せる技だと思ったからである。箱庭の中では天候条件にも左右されず、受身でも安定して打球が守備者まで届く。だが雨と天然芝という可変的な自然環境では、自ら打球を捕球する能動的な動きが求められると思うのである。そして初回大会から11年の月日が経過するにも関わらず、ボールの違いへの適応如何を喧伝するメディア。(さらには芸能人レポーターの野球への無知。)この「過保護」な環境の延長線上に、ファンの発する「仕方ない」があるような気がしてならない。音楽を奏して一斉な掛け声をかける応援も、一つの楽しみ方であるが、やはり「野球」そのものを、どれだけ緻密に観るかというファンの次元が、その国の野球レベルを左右するような気がする。MLB現地球場でかなりの数の試合を観てきた経験からいえば、ファンは応援するチームの選手に「仕方ない」とは決して言わない。納得しないプレーには、野次やブーイングが乱れ飛ぶのを目の当たりにした。その妥協・迎合しない真に応援するファンの姿勢があってこそ、日常の試合に緊迫感が生まれる。考えてみれば、畏敬すべき自然を感じない箱庭での様々生活や教育、「仕方ない」と政治にも社会にも向けられる諦めの視線。嘗てON時代の野球が「昭和」の「気分」を映していたのと同様に、「日本代表」の姿は現状の社会を映し出しているのかもしれない。

ついつい長くなってしまった
野球ファンとして、では何をするかを考えたい。
日本代表が国内で、天然芝の屋外で実施した強化試合は宮崎だけだったと中継が伝えていた。
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年齢なんか「ただの数字じゃないか」

2017-03-22
“Just a number”
「年齢を考えたこともないし、歳をとるとも思っていない。」
(城山三郎『よみがえる力は、どこに』から、リチャード・バックとの会話より)

知人がFBへの投稿で、冒頭のような城山三郎の講演録の一部を引用していた。城山が「かもめのジョナサン」の著者であるリチャード・バックに会った際の会話であると云う。確かに人は、「ただの数字」に過ぎない「年齢」に囚われてしまいがちである。だが「年齢」とは、生まれてからの「時間」を「ただの数宇」に置き換えて示しているに過ぎず、その人の本質を表しているわけではない。今まさにこうして小欄の文書を綴っているのは、その内容に意味があるのであり、「書いている」時間がどれだけ経過しているかを、概ね問題としない。翻り、お読みの方々においても、その内容に入り込めば入り込むほど、「読むため」の時間経過を問題としない筈である。「充実した時間」というのは、むしろその「時間」そのものに対して「無意識」になった時に他ならない。「この年齢」だから「こうである」のではなく、「我を忘れて生きている」ならば、「ただの数字」であると言い切れるのであろう。「時間」を意識するゆえに、空疎なことしかできない時ほど、つまらないと感じることはない。読書でも表現活動でも、これは同じである。

6日間に及ぶ在京を終えて宮崎に帰った。丸四年という宮崎での「時間」を意識する場合もあれば、あの時と変わらぬ希望が胸にあることにも気づかされた。毎年、宮崎を訪れてくれる落語家さん、宮崎に至る直近の混迷した道程を支えてくれたお店の方々、中学校時代の恩師と同級生、大学院研究室の先輩後輩、そして生まれてから常に見守って来てくれた両親、こうした人々とあらためて語り合うことは、「時間」を遡求することではなく、「今」を見定めるためのように思えて来る。記憶も思い出もまさに「今此処」にあるのであって、「年齢」という「数字」の中に閉じ込められているわけではない。会いたい人と会う時の「時間」などは、言うまでもなく「無意識」の領域である。昨今はスマホの普及によって、その都度の「事実」を写真として記録しやすくなったが、肝心なのは「静止画」なのではなく、「こころの動き」ではないかとも思う。それゆえに小欄のように日々の思いを綴る必要もあるのだと再確認する。最終日は冷たい雨の降る東京。秋10月に宮崎で開催する学会の打ち合わせを、事務局担当の先生と行う。美味しいランチを伴ってのそれは、誠に充実した内容で秋への希望が倍増した。「食べながら」の行為が、まさに「時間」という「数字」を消して、満たされていく階梯を登るがごとく話し合えたゆえであろう。

宮崎に帰ると偶然に親友と出会う
「ただいま」とともにまた「今」を生きる
「時計の針」という「装置」に囚われず、「今」踏みしめている地点を歩くのである。

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「よし」としない自分の立ち位置

2017-03-21
「『よし』と言うこともしなければ、
ほめることもしないのです。」
(朝日新聞2017年3月20日付「折々のことば」から)

朝日新聞「折々のことば」にある能楽師・安田登氏の冒頭に記したことばが目に止まった。「能の稽古では、師匠は弟子に『それでよし』とは断じて言わないのだという。」と同欄にある。安田氏とは以前にSNSを介して何度か交流したことがあるが、現代社会が忘れてしまっていることに気づかせてくれる感覚を持った方だと思っていた。昨今は、「抵抗」を怖れるがゆえに、過剰に「よし」という社会になっているのではないかと思うのである。同欄によれば、「教える人もつねに途上にあり、変化をしているからだ。なのに『よし』と言うのは、その進化を止めて、いま自分が立っている地点を基準に良し悪しを判定することにほかならない。」とある。「よし」と言った時点で「教える側」も「学び」が停滞し固着し、やがて頽廃していくことになるということであろう。「学ぶ」は「まねぶ」ともよくいわれるが、同欄には「ひたすら師の緊張感と気迫をまねるばかりだ。」ともされている。まずは「教えるもの」こそが、途上だと自覚するしか子弟の向上も望めないのである。

果たして自分はどうか?と胸に問い掛けながら、久しぶりに実家の机の引き出しを整理した。過去の免許証や学生証、引き出しゆえにその時々に重要だと思われた書類が顔を覗かせる。その随所には思い出もあるが、苦み走った経験もが刻まれており、次第に複雑な心境になった。それでも尚、学部の恩師から院生時代にいただいた修論への感想が記された葉書などもあり、再び自らの学問を考え直す契機にもなった。総じて自身の過去の道をこうして見返してみると、決して自分で自分を「よし」とはして来なかったのだと再確認した。現職教員であった己を「よし」とはしなかったゆえの大学院進学、勤務校も公募で移動し、安定を捨てて大学非常勤の荒波に揉まれたこともあった。現在の勤務校で大学専任となり丸4年、もちろん自らを「よし」とは思っていないつもりだ。常に現状を見直し更新することで、明るい未来が開ける。実家の電話やネット回線の契約に関しても、十分に見直すべきだと母に進言した。

その後に家族でいつも変わらぬ老舗でランチ
「変わらぬ味」とは「よし」としない意識ゆえに保たれるのであろう
浅草・上野の活況ぶりも、新しい時代を受け容れたからにちがいないのである。
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人生の節目に接して

2017-03-20

研究室が人生の基盤になる
そしてもちろん御両親の愛情の彼方に
後輩の人生の節目に接して・・・・・

大学院修士・博士後期課程を通じての後輩の結婚式にお招きいただいた。大学院というのは後期課程まで行くと、特に人文学系の場合、最低年次の5年間で修了という訳にもいかず、「満期」になるまでだと8年間であるとか、人生の一定の時間を過ごす場所となる。よって、其処で出会う研究室の先輩後輩も多岐にわたり、様々な分野の多様な人々と接して学びが大きくなった時期でもある。その「学び」の意味が如何なるものであったか、それを振り返り今後に反芻する意味でも、貴重な機会を得た。後輩の研究発表に意見を述べて議論したこと、そして研究室からの帰途、食事をしながら語り合った四方山話。その「時代」をあらためて噛み締めることで、僕自身の「現在」と「未来」も見えて来るという思いに至った。

「文学」を読んで心が動くのは、「自己」を起ち上げて「よむ」からである。挙式・披露宴に臨席していて、それと同質の心の動きが生じた。披露宴での様々な方々のスピーチ、思い出を振り返る動画・写真スライドなどなど。双方の御両親の思いやりと深い愛情と。そして教育現場で新郎新婦が関わってきた「教え子」たちのメッセージ。その心の声が、披露宴会場に響く時、自ずと何度も涙腺が緩んだ。昨今、人はあまりにも喧騒な日常に追われ過ぎていて、こうした人生の「蓄積」の上に「生きている」ことを忘れがちである。短歌によむ主題もまた、こうした「人生の年輪」と通底しているや否やで、抒情性に大きな違いが生じることになるだろう。後輩の披露宴に臨席して、自身が忘れかけていた大切なものを思い出したような気がした。

研究室は人生への出発点でもある
自らの預かる学部生も濃密な時間を過ごしてもらいたい
後輩の幸せを祈りながらの思い色々。


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人生で種を蒔く時期

2017-03-19
無条件に笑い合える友だち
そして思春期の成長を見守ってくれた恩師
その時期に蒔かれた種から芽が出て花が咲く

中学校時代の担任の先生を囲み、大変親しかった友だちたちとささやかな同窓会を開いた。長年、年賀状のやり取りだけで連絡だけは保たれていたが、ことしはぜひ「同窓会」を実現しようと自ら音頭をとった。教育関係を研究し教員養成に携わる身として、自らの「中学校時代」が如何なるものであったかという問題意識を、相対化する必要性も感じたゆえでもある。だが、実際に会ってみると、そんな堅苦しい意識は遠方に去ってしまい、ただただ楽しい時間が穏やかに流れた。話す口調は当時のものに戻り、友だちの笑顔は昔のままであった。現在の職業や生活環境を超えて、ただただ会って楽しい仲間と恩師。それこそが「中学校時代」なのではないかとあらためて思った。恩師は「あの頃」を「牧歌的だった」と振り返った。

食事をする前に、今は無くなってしまった当時の校舎が建つ敷地を散策した。今や附属の大学が「新凱旋門」にも似た、シンボル的な校舎を建築した場所となってしまっていた。あのあたりが中1で入学した時の教室、あそこが校庭、体育館はこちらにあった、などと語り合いながら、ある角度から表通りを見ると、変わらないあの日の街の表情が蘇る。ともかくあの頃は学校へ行くのが無条件で楽しかった。朝早くから登校し、校庭で野球やアメフトをして遊ぶのが常だった。一泊旅行や修学旅行では、今回会った友だちといつも部屋割りで同室になった。深夜に及ぶか徹夜も辞さないで語り合った時間。そしてまた「文学」を深く愛した恩師の様々な言動が、僕らに発芽すべき種を蒔いていたのだと、あらためて確認できた。ふたたび「教員養成」という観点から聊か述べるならば、「教師は生き方を見せる」べきではないかと恩師と僕自身の関係から痛感した。

また元気でこの地で会おう
今回来られなかった北海道の親友とともに
かけがえのない恩師と友だちと永遠なれ
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視野を広げるためにも

2017-03-18
年1回の眼科検診
特に異常もないがドライアイ
視野視界の大切さを思う

「当然」のように眼の前の光景がある。だがそれは自分の眼が、正常に機能しているからの「当然」である。昨今は精密な医療器具もあり、様々な兆候が判明すると医師は告げた。そんな意味では聊かの不安も覚えたが、検査結果は特に異常なし。ドライアイ気味な症状に対して、いつものように点眼薬のみを処方してもらった。それにしても自らの眼というのは、常に「今」も眼前の光景を映し出し続けてくれている。この文章の一文字一文字を打ち込むこともまた、点眼薬を差すことを励行することによって維持されているわけである。それをあまり意識することなく、我々は日々、その視野視界を保全していることになる。

「視野」という語彙には実際に眼で捉える像ではない意味もある。『日本国語大辞典第二版』にも「(比喩的に用いて)思慮、観察、知識などの及ぶ範囲。」と第三項目に記されている。眼で捉える実像としての「視野」が保全されていることは医療的に確認できたが、果たしてこの第三項目としての意味における「視野」は保全するなり、広がりを持ち続けているのだろかと不安になることがある。短歌一つを創るにも、こうした意味での「視野」が広いか否かが重要であろう。「先生」と呼ばれる輩においては、往々にして「視野狭窄」に陥りがちだ。それゆえに、多様な分野の方々と語り合い刺激を受け続け、「第三の視野」の定期検診も必要となるのである。

過去の「視野」を更新せねばならない時も
穏やかに自分を見つめるための語り合いのとき
「常に視野を広げよう」中学校の恩師の口癖でもあった。
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短歌と落語の交差点

2017-03-17
口誦性から歌は始発し
落語はもちろん江戸からの話芸
滑稽・洒脱な狂歌と落語のことなど・・・

「床屋政談」とはよく言ったもので、散髪をしながら世間話をするのが通例である。昨今では10分程度で済ませてしまう廉価な「コンビニ」のごとき床屋も見かけるが、髪結処は「政談」をしてこその場所と江戸時代から相場は決まっている。この日も、現在の政治への不信感が募るという話題やWBC日本代表のことなど、批判的な立場からの「政談」が続いた。その後は母校の図書館に立ち寄り、聊かの資料収集。さらには親友の落語家・金原亭馬治氏と、ある支援者の方と酒宴の席を設けた。落語にも時事ネタは付き物であるが、床屋も落語家も「お客様」には様々な立場の人がいることを忘れないのが重要だと云う。野球の「贔屓チーム」に対しては「中立的」であるべきで、政治に対してもある立場からの批判は避けるべきであろう。だが、その境界線上で対話する相手に適応した皮肉や洒脱が、求められるということだろう。これはある意味で、「教員」もまた同じである。

「洒脱」とは、「俗気がぬけて、さっぱりしていること。あかぬけしていること。さっぱりしていて、嫌みのないこと。また、そのさま。」(『日本国語大辞典第二版』より)とある。「聞くもの」を微妙にくすぐりながら、粋な計らいある会話ができる境地であろう。落語にはよくマクラに、狂歌がふられることがある。「傾城の恋はまことの恋ならず金持って来いが本当のコイなり」などは廓噺のマクラになる狂歌で、僕も嘗て一席でふったことがある。「風刺画」に見られるような滑稽さとともに訴える力が必要である。この日は短歌の口誦性・愛誦性と話芸としての落語のあり方などについて、僕の『短歌往来』掲載評論にも基づき様々な懇談に及んだ。ともに口誦性があるからこその効果や、「文字」として遺らないゆえの存在価値が江戸からの明治初頭まではあったわけで、あらためてその共通点などを考えるよい機会となった。

こうした関係から、僕の「短歌」主題のひとつである「落語」
口誦性と朗誦性についてさらに追究してみたい
酒の肴になる懇談もまた「後に遺らない」洒脱である。
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