酒なしにしてなにのたのしみ

2017-04-24
「人の世にたのしみ多し
 然れども酒なしにして
 なにのたのしみ」(若山牧水『くろ土』より)

「遅いね!」ホテルの朝食会場へ行くと、一足先に食事を済まされた佐佐木幸綱さんから、ダンディな声でこのように声をかけられた。「朝はブログを書く習慣がある」などと野暮な返答をするにもあらず、昨晩の酒のおかげで幸せな睡眠がとれたと言わむばかりの顔つきで応じた。それは「歌壇酒徒番付」の「東の横綱」に対して歌では「幕下付出」のような若輩者が、温情あるお言葉を受ける至福のひと時であった。昨日の小欄に記した「ほろよい学会伊丹大会」は名称どおりに、鼎談・座談会後の交流会が本番であり、地元伊丹の清酒が飲み放題。鼎談で弁舌を奮われた俳句の朝倉さんと席を同じくたり、宮崎県は延岡市の首藤市長や教育委員会文化課長などとも名刺交換ができて、大いに酒の恩恵を受けた。「ほろよい」とは、「酒に少し酔うこと。いい気持ちになる程度に適当に酒に酔うこと。」と『日本国語大辞典第二版』にもある。だがそれはあくまで「横綱」次元での「ほろよい」なのであり、交流会が終わればまたリセットされて「0」からスタートという、誠に楽しい「感覚」である。

「西の横綱」はどなたかといえば、宮崎の伊藤一彦さんである。昨日の小欄から、こうした偉大な歌人の方々を「さん付」で表記しているが、これもまた「ほろよい学会」の流儀。確かに歌人同士では著名な方でも「さん付」をよく耳にするので、宮崎歌会などで小生を「先生付」でお呼びいただくと、むしろ恐縮してしまう。(前回は俵万智さんに「先生付」で呼ばれて誠に恐縮した。)話は戻り、交流会後は両横綱や坪内稔典さんらも参加してホテルのラウンジでウイスキーグラスを傾ける。関西圏の方々は、次第に帰路の電車が気になる時間。その場もお開きとなったが、さらに東西横綱相撲は続く。幸綱さんのご次男・定綱さんとともに何と四名で近所の居酒屋で卓を囲み、あらためて地元銘酒の辛口「老松」を四人で一升近く。その翌朝が、冒頭に記した幸綱さんの言葉の「意味」である。幸いにも新潟出身の母の遺伝子を受け継いでおり、酒の付き合いだけなら「横綱」の「お付き」ぐらいは務められる。伊藤さんには「歌が上手くなる資格ありだね」と言われて、これまた幸せなお言葉に酔った夜更けであった。

ちなみに、時代とともに「酒」が「悪者」になる傾向がある。小生らが学生時代からすると隔世の感がある。こうして小欄などに「酒」の話題を記すだけでも、「研究室ブログ」を標榜しているだけに「難癖」がつけられるかもしれない。米国在住の親友にこの「ほろよい学会」のことを知らせると、公に「酒」のことを語り合う会など、米国では考えられないという返事をもらった。例えば「お花見」のように公道たる場所で、「酒を飲む」ことも米国ではご法度だと云う。酒屋でアルコール類を購入するときは、身分証明書の提示が徹底されるし、球場でビールを買う際に、白髪の老人までも身分証明書を提示する徹底ぶりだ。その割には、球場の帰り道に車を運転している人が多いと矛盾を感じる、まさに「自己責任」の国である。「ほろよい」とは、誠に洒落た語彙。その恩恵で、人との付き合いが確実に深くなる。建前が横行する横並び社会、模範性ばかりが問われると人と人とがぎくしゃくする。酒は何よりも、こうした人付き合い・コミュニケーションの潤滑油である。この話題はいくらでも書けそうであるが、今日はこのあたりで。

爽快な晴れ間の宮崎に帰る
偶然ながら、伊藤さんと同じ便であった
酒と短歌がまた人生に深い意味を与えた。

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「酒と短歌と俳句と川柳」ー第15回日本ほろよい学会伊丹大会

2017-04-23
清酒発祥の地・伊丹
短詩系と酒はいかに語られるか
「酒のおかげで人生が少し深く生きられる」

「それほどに楽しきかと人の問いたらばなんと答えむこの会の味」と牧水歌のパロディを語りたくなる「学会」、「日本ほろよい学会伊丹大会」が開催された。清酒発祥の地、江戸時代には70軒の酒蔵があったが、大正の終わりには25軒。だが今もなお関西圏の酒どころとして知られる伊丹の地。牧水もまたこの地を訪れて、銘酒たる「白雪」を楽しみにしていたと云う。「手にとらば消なむしら雪はしけやしこの白雪はわがこころ焼く」の歌碑が、小西酒造の販売店前に建っている。伊丹市は現在「ことば文化都市」とされて、歌人や俳人たちが古来から通行した交通の要所として俳諧古典籍の所蔵で著名な柿衛文庫もある。冒頭でこうした伊丹市について、郷土史研究家の森本啓一さんから講演があった。その後、最初の鼎談は「女性と酒ー働き盛りの女性歌人、俳人が語る」である。コピーライターから出発した川柳の芳賀博子さん「グラスからふわりと浮かびあがる駅」の作は、心象風景が蜃気楼のように立ち上がるように読める。俳句の朝倉晴美さんは、詩から出発し現在も小学校の教員、「夫でない人と呑むジン花曇り」の句が粋である。 そして、昨年の心の花京都宮崎合同歌会でのお世話になった歌人の塚本瑞江さん「ハナタレをバクダンと呼ぶ三杯目砕けた時をもろともに飲む」の歌は鮮烈である。「ハナタレ」は日向にある酒蔵の40度の焼酎の名前。こうした三名の代表作を比較すると、予想に反し俳句や川柳の方が穏やかな酒を詠み、短歌が一番酒らしい酔い方が表現されていたという結果になった。俳句では「ボジョレ・ヌーボー」は季語になるなど、洋酒を詠むことも女性の手になることが多いような。女性が積極的に「酒だ」という歌はまだ少ないという印象であるようだが、こうした公の鼎談で女性が「短詩系で酒を語れるようになった」ことそのものが、新たな時代を感じさせるという年配の方々の意見もあった。

さて「大かたはおぼろになりて吾が眼には白き杯一つ残れる」という石槫千亦の歌は鮮烈な酩酊の印象がある。後半は、スペシャル座談「酒の短歌、酒の俳句」となる。酒と短歌とくれば、まずは佐佐木幸綱さんである。「徳利の向こうは夜霧 大いなる闇よしとして秋の酒酌む」「人肌の燗とはだれの人肌か こころを立たす一人あるべし」などの酒の作があり、牧水が作った酒の歌380首を、数で越えたと云う。牧水研究の第一人者である伊藤一彦さんも幸綱さんの歌について、「人肌の」とは「誰の?」と洒落ながら、「秋の酒酌む」については「秋は新酒が出た」からであり「酒を飲んで知る人生の寂寥、悲哀、それを乗りこえる歓喜があって、酒の向こうに何かが見える」という感覚が鋭いと指摘した。その伊藤さんの歌に「味酒の身はふかぶかと酔ひゆきて待つこころなりいかなる明日も」がある。やはりこの一首にも人生が見える。その伊藤さんに対して幸綱さんは、「(宮崎で)いい空気吸ってる人の方が酒は強い」と洒落たコメントも。いずれにしても心の花のみならず、歌人酒豪東西横綱揃い踏みの座談が展開した。俳句からは宇多喜代子さんが参加「妙齢の女性が酒の話を公にできるようになった」と感慨を述べる。「酒は常温」と主張する宇多さんの句には「鮟鱇の性根をたたえ昼の酒」などに奥深さが感じられる。この座談の司会は、坪内稔典さんで「泥酔い学会」などと洒落ながら、ユーモアある進行が心憎い。「和歌には酒が少ないが、漢詩には酒が詠まれる」と李白の詩などを例に挙げ「琴詩酒を三友」とした漢籍の定石を紹介した。

座談はさらに興に乗り「事わかず疑しげくなる時は壺の口より酒にもの問ふ」という牧水と交友のあった吉井勇の歌を伊藤さんが紹介。さらには啄木の「汪然として/ああ酒のかなしみぞ我に来れる/立ちて舞ひなむ」と酔狂の中に踊る歌を挙げる。なかでも「北原白秋や前田夕暮は酒も強かった」と幸綱さん。「牧水と啄木は悲しくて踊る」のだが、「白秋は翳りがなく本当の天才」だとも。「心の花は酒が強いと歌も上手くなる」という「流儀」があるという信じてみたい話題も。だが最近は「酒と文学が遠ざかってしまった」というのだ。せいぜい「第三の新人頃まで」は、編集者として幸綱さんも作家との付き合いが面白かったと云う。伊藤さんは「自分のなかから突き動かされる「あくがれ」の強さ、その衝動そのものが弱まったのでは」と指摘し、現代を生きる若者を聊か心配する発言も。牧水の酒の歌は平明で愛誦性もあるが、「短歌革新から前衛短歌までの70年間だけに成立した歌」と幸綱さんの指摘。「牧水歌には音楽があり覚えやすいが、第二芸術論で否定されたように、リズムの魔力に捕らえられているところが、長所であり短所である」とも指摘された。それにしても牧水の「酒やめてかはりになにかたのしめといふ医者がつらに鼻あぐらかく」「妻が眼を盗みて飲める酒なればあわて飲みむせ鼻ゆこぼしつ」といったユニークな歌はやはり読んでいて面白い。座談の最後に「酒と短歌の今後の展開」について、「酒の歌がなくなったら短歌はつまらなくなる 恋の歌も少なくなるのはどうか」という指摘も。「今の若者は感覚の歌が多くなったようだが、感情の歌もある」とも。「恋・酒・旅」などのテーマが、再び「ルネサンス的にリバイバルの時代も来る」という話題も出た。

来年は牧水の訪れた水上町でほろよい学会
俳句の宇多さんが最後に「(最近は)さらっ~とした句が多い、しっかりせいや!」が印象深く閉会となった。

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生徒の手紙〜教師冥利の

2017-04-22
ある生徒が授業担当の先生にくれた手紙
伝えたい気持ちを素直に一生懸命手書きして
この一通こそ国語教育のこれ以上ない成果ではないか

昨年から縁あって、関西の主に高校教員の方々と研究会や懇談する機会をいただくようになった。その都度、現場での国語授業の悩みや工夫などを率直に語り合う場となって、小生としても大変勉強になっている。教科教育研究に関わる以上現場の実情を知り、よりよい授業創りに貢献でき、更には自らも対象とする現場で授業実践ができなければならないというのが、小生のかねてからの信念でもある。こうした意味で、現場の実情が知れるこうした機会を持って、自らの視野を広げることが実に重要であると常々考えている。また地域性においても宮崎県のみならず、関西圏という都市部の教育の実情から学ぶことも多い。それによって、宮崎の教育を相対化し、真に何が問題であるかを炙り出す視点をも獲得することができると考えたい。見方を変えれば、自らが「生涯一現職教員」であるという意識を持つということであろうか。

詳細なことを記すのは控えるが、今回の懇談に参加したある先生が、生徒からの一通の手紙をもらったと云う。以前はあまり授業に前向きではない姿勢であったことを、自らが自らの「ことば」によって振り返り、「国語授業」に真の興味が湧いてきたことを素直に語る内容であったと聞いた。教員は往々にして無意識に「教える」こととは、自分の位置から自分の感覚で「国語」を押し付けようとすることだと勘違いしがちであるが、この先生のように生徒たちが心の奥底で意欲を持てるように啓発する工夫と努力が、不可欠なのだと考えさせられた。一方で「学校」には、まったく心では「分かっていない」にも関わらず、「大きな声でのハイという返事」を強制する悪弊が今もなお存在している。その場をやり過ごすために仕方なく生徒たちは本意にあらず、「ハイ」と声だけは大きいが生気のない声を発する。授業のみならずむしろ部活動などでよく見られる、こうした「分かっていないハイ」と同じ構造で、〈教室〉では欺瞞に満ちた音読や発言が繰り返され、音量の大きさという内実のない基準で「教師」は自らを欺いて納得しようとしていることが多いのである。このような「授業」における権威抑圧による自己欺瞞の構造を考えるに、恐ろしいことにそれがそのまま、現況の社会のあり方を映し出してしまっているのだと懇談を通して気がついた。それにしても、この先生のように感銘を受ける「生徒からの一通の手紙」をいただけるような心をもって、日々教壇に立ちたいものである。

常に生徒たちに愛情をもった工夫がある
それを仲間たちと語り合い共有する
「低唱微吟」による〈教室〉での音読についても、また新たな試みをしたくなった。

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成長が見える歓び

2017-04-21
大学での4年間
社会へ向けての成長のとき
4年生の落ち着きにその証が見える

「教員」にとって、教え子の成長ほど歓びを感じるものはない。現職教員時代は、中高一貫校に勤務していたので、中学校1年生から高校3年生まで関わると、誠に天と地の差があるほど子どもが大人になる。それは身体的にも大きな変化があるとともに、その顔つきに表現された心の成長も甚だしいからだろう。中高の場合は特に思春期を経過するゆえ、様々な悩み苦しみを共有することもある。それだけに高校3年を卒業する際の感慨は一入となる。ところで、大学の場合はどうだろう?4年間を通して関わる場合もなくはないが、ゼミは3年生からの2年間、授業もせいぜい年間前期後期とセットになっていたり、国語専攻の場合は複数学年に及び専門科目での付き合いという程度なので、通常は中高ほど成長が見える機会も少ないかもしれない。元来、学生たれば自主を尊重することもあり、個々の判断に委ねている点も中高と相違がある。

ところが昨年度から教育実習を担当するようになって以来、個々の学生の成長がより見えるようになってきた。この日も附属小学校で4年生の公立校実習前の説明会が行われたが、そこにやってきた学生たちが妙に大人に見えた。大半の学生たちは、昨年度は前期後期の30回の講義を通して、様々な活動をともにしてきたので馴染みが深い。2月の講義以来久しぶりであることが、そう思わせるのか、否、実際に彼らは何らかの内面的な成長があって、それが表面に顕在化しているのであろう。考えてみれば、この学生たちも1年後は現場の教壇に立っているのだ。スーツ姿も板につき、キリッとした表情に教員採用試験に邁進する彼らの信念を見たような気がした。ちょうど昨年のまだ暑い9月半ば、彼らは附属小学校での3週間に及ぶ辛く苦しい実習を終えた。その最終日に僕が贈った牧水の歌が「眼をあげよもの思うなかれ秋ぞ立ついざみづからを新しくせよ」であった。この日は挨拶でこの歌を覚えているかと反芻し、あれ以来、どれほど「眼をあげ」て、「みづからを新しく」してきたかを問うた。もちろん、彼らの多くがこの意が通じたような表情をしていた。

実習という体験が確実に学生を成長させる
それを信じて彼ら個々に託していく
大学専任教員としての本当の歓びに、また一歩近づけた気がした。

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若いことばで今を詠おうー新年度第1回宮崎大学短歌会

2017-04-20
今しかない学生時代
その思いを歌に詠む
新年度宮崎大学短歌会始動!

昨年の12月に結成した宮崎大学短歌会、新年度第1回歌会を開いた。従来からメンバーであった国語専攻の学生たちに加えて、新たに農学部の新入生、さらには大学院生も加えて多彩な顔ぶれになってきた。歌を対象に様々に語り合う歌会は、なるべく多様な発想の人が集まるのが面白い。多様な詠草が出てくるとともに、多様な発想の読みが交響することで、歌は何倍も魅力的になってくる。特に「国語専攻」であるゆえの盲点もあり、理系の発想による詠歌は一味違った料理を味わうごとくであり、場の趣が実に豊かになったようである。出された詠草の小欄への掲載は当面控えておくが、どの歌も実に個性的で楽しい歌会となった。

こうした場でいつも例として挙げるのは、永田和宏さんのこと。世界的な細胞生物学者でありながら、歌人としての活動も超一流である。理系の「研究」たる仕事と作歌・著述活動の両立だけを考えても、誠に尊敬に値する偉大な歌人であるといえよう。学生時代には様々にやるべきこと、やりたいことがあるはずだ。本学部の学生ならば、教育実習や教員採用試験へ向けての学習などが本分であるのはいうまでもない。また農学部の学生も実験や実習に勤しむ時間が必要であり、大学院生に至ってはかなりハードな課程内容をこなしていくことになる。その本分たる所業のみに専念していて、果たして「豊かな学生時代」と言えるのであろうか。学生時代にしか得られない感覚と感性で、その若いことばで若い時代を歌にすることは、必ずやその後の人生を、花も実もあるものにするだろう。

ともに歌を学ぼうそして歌を楽しもう
常時、会員大募集中!!!
次回歌会は5月2日(火)18:30〜(毎月第1・第3火曜日に開催予定)
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「今も宇宙を走りゆく」〜今こそ忘れてはならぬ「光」

2017-04-19
「おそらくは今も宇宙を走りゆく二つの光水ヲ下サイ」
(岩井謙一『光弾』より)
ヒロシマ・ナガサキの光は今も・・・

既に日本海側の地方では、万が一に備えて「避難訓練」をはじめているとTVの報道で見た。北朝鮮の核開発やミサイル発射にあたり、米国トランプ政権が対抗的措置に言及したことで俄に「休戦中」の朝鮮半島情勢が緊張している。さらには米国のシリアへの急な攻撃もあり、現実に世界情勢が”キナ臭く”なっている。われわれ人類は、せめて20世紀の悲惨な戦禍の歴史に学び十分に懲りてきたはずではなかったのか。僕自身が幼少の頃に見た「21世紀の未来」を描くアニメなどでは、「世界連合」ができて国境を越えて愛と友好に溢れた「地球」が想定されていたが、どうやらそれは「幻想」に過ぎなかったのだと悲しい思いになる。少なくとも無用な「恐怖」を煽り立て「敵」を作り上げて、「国益」などという自国の利ばかりを最優先する発想が、いかに「子どもじみた」ことかを知るべきであろう。いや「子どもじみた」では、現実の「子ども」に申し訳ない。「愚劣の極み」「愚の骨頂」とでもいった方が適切か。

冒頭に掲げた岩井謙一の短歌は、原爆の閃光を詠ったもの。ヒロシマ・ナガサキに投下された原爆の光は、「今も宇宙を走りゆく」のだという。「光」は永遠になくなることなく、何光年の距離を「走りゆく」ということ。現実にその「光」をわれわれは知る由もないが、極めて理にかなった詩的現実として、人類が心に刻んで止むべきでない想像の「光」であると読める。結句の「水ヲ下サイ」は、教科書などでも著名な原民喜の詩の一節を踏まえている。原爆の閃光で焼かれた生き地獄の渦中で、多くの個々の人々が「水ヲ下サイ」という痛切な希望を口にし思いながら尊い命を落としたことだろう。そんな個の命の尊厳を原民喜の詩は、語り続けている。戦禍に犠牲となるのはいつでも弱い民であり、未来ある子どもであることも少なくない。シリアでの映像には常に胸が痛むが、「兵器に兵器」で対抗すればさらに罪のない人々が犠牲になる。21世紀の「叡智」として、せめて「ことば」による対話と想像力で、無用な諍いは回避すべきなのは自明だ。

だから僕たちは「ことば」を信じる
眼の前の人と「ことば」でわかり合う
愚かなるリーダーたちに翻弄されない「ことば」を持ち続けたい。

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私のもとへ帰る「ありがとう」〜宮崎に「ある」ことの喜び

2017-04-18
「『お金』とは別の物語が、
 この宮崎の日々の暮らしには
 豊かにあります。」(宮崎日日新聞「客論」永山智行氏2017年4月17日付より)

宮崎に来てからというもの、様々な方々と出逢った。友人となった方々が、TVや新聞などで報道されたり、何らかを執筆していたりする機会も珍しくはない。その宮崎なりの「密度」を、実に心地よく感じることもしばしばだ。この2月に演劇ワークショップをご一緒させていただいた、劇団こふく代表の永山智行さんが、新聞の「客論」欄を執筆して来て、今回で「卒業」となる記事に接した。冒頭の文に続き「風に吹かれる桜の花びらたち、広がる森の緑や、恵みもたらす田畑、波寄せる海や、滔々と流れつ川、そして、日々を誰かのためにこつこつと生きる人々。」とある。誠に宮崎に生きることの喜びを再確認させてくれる内容だ。さらには「いま、ここに『ある』。その喜びを、わたしたちに与えられた『生きている』という短い、奇跡のような時間の中、出会った人々と、ただ分かち合えたら、いまはそう祈るばかりです。」とある。

永山氏の「客論」のタイトルは、「ここに『ある』ことへの希望」である。「そしてまさしく『在り』『難く』わたしはいま「ある」のだ。相手を見つけた『ありがとう』は、やがてまたわたしのもとへ帰ってくるでしょう。」とあり、「誰もいない場所にひとり立つ。そして『ありがとう』とつぶやいてみる。」ことからはじまる「物語」の重要性を述べている。自らを存在させしめている他者を見つけ感謝し続けることで、巡り巡って「わたし」に帰ってくるということ。「弱く小さな存在である人間」が、いまここに「ある」ことを「喜び、味わい、祝う」ことがどんなにか生きる上で大切かを教えてくれる。そんな人間観を、都会生活は次々と強引に剥奪する。だが宮崎には、それが滔々として流れているのである。演劇的ワークショップの中で永山氏は、子どもたちがこんな「自己」の「ある」ことを楽しく喜び合える機会を提供していた。「声」と「身体表現」の「ある」ことに「ありがとう」を言えば、他者にも通じやがてそれは「自分」に帰ってくるのである。

「子どもじみたリーダーたちが、
何事かを「なす」ことで自己の物語を作り上げようとし、
免責と引き換えに、沈黙の承認をもってその物語を支える者たちもいます。」
(同、永山氏の「客論」より)

まずは、自らが「ここに『ある』こと」に感謝せねばなるまい。

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あの道を歩んでいたらー映画「ラ・ラ・ランド」雑感

2017-04-17
「今現在」に至るまでには
誰しもいくつもの岐路があったはずである
もしあの道を歩んでいたならば・・・

人生に「たられば」はないとは思いながらも、それを思考し想像するのが人間である。後ろを振り返ることは、果たして「後退」とだけ捉えられる行為なのだろうか?「あの日あの時」の一つの決断が、紛れもない「今」に連なっているのだとすれば、「振り返る」ことも「現在」を見直す隠された指標を見出すために有効かもしれない。「振り返った」としても、決してその「過去」は塗り替えることはできない。「後悔の念」の渦中に沈むのではなく、「現在」と「未来」に向けて、「今」も進み続ける見えない「道」に光を当ててくれるヒントがあるかもしれない。新年度の仕事の喧騒で2週間ほど走り続けたゆえ、しばし心も沈める必要があろうかとゆっくりした休日。アカデミー賞6部門を制覇した「ラ・ラ・ランド」をようやく映画館で観た。

二人の出逢いから楽しい日々、そして別れと5年後が「春夏秋冬」に振り分けられて美しい音楽とともに奏でられる、さすがに見応えのある作品であった。西洋の映画でありながら、四季を比喩的に描いた点も興味深い。先日の宮崎歌会でも、二首ほどこの映画を詠んだ歌があり、そのうち一首は俵万智さんの作品であったゆえに、映画の内容がたいそう気になっていた。「短歌」にも「人生」が乗っているのだとすれば、前述したような「道」を意識しないではいられない。短歌という珠玉のことばで「その時」の「心」を捕捉しておけば、きっとその先の「道」を歩む時に、大きな心の支えになるはずだ。映画では特に「5年後」の回想シーンには、自分の「5年間」を考えさせられた。もちろん「5年間」は積み重なり「10年」そして「15年」もあるわけで、それはまさしく「人生」の方向付けに決定的な意味を持っていく筈である。

「今」もまた常に「5年後の岐路」である
日々を「短歌」にして「未来」を照らす指標となれ
そしてまた音楽があって人生を彩る、ということも再確認した映画であった。

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都会暮らしと地方生活ー朝ドラ「ひよっこ」の設定に思う

2017-04-16
NHK朝ドラ「ひよっこ」
昭和39年東京五輪の年の奥茨城と東京
都会「暮らし」地方「生活」

新年度の朝ドラが始まって2週間、珍しく最初からその内容を日々追いかけている。まだまだあくまで序章のような内容ながら、既に何度か心に響く場面があった。たぶん、一般的にはそれほど感銘を受ける場面ではないのだろうが、そこに「自己」を起ち上げて解釈すると涙腺が緩む結果に至っている。昭和39年の奥茨城と東京、稲作農家の主人が東京で単身、五輪へ向けた建築などの出稼ぎで家計を支えている。生まれ育った郷の土の香りを愛して農耕生活に従事したい地方生活に反して、物騒で一極集中のインフラ整備が急速に進む東京がある。稲作や夫人の内職のみでは生計が立てられない地方生活の状況が浮き彫りにされつつ、「幸福」とは何かというテーマが貫かれているようだ。50年以上前のこの国の問題であるが、それはまさしく「現在」もまったく変わらない課題である。この国の政治・社会は、この個々の幸福に関わる大きな問題を、長きにわたり放置してきたことがわかる。

出稼ぎの主人が、東京で出会う洋食屋。丁寧な手作り感ある調理によって出される料理の美味さに主人は感激し、郷の家族らにも食べさせたいと感激する。その様子を見ていた店の女将が、カツサンドを土産に持たせるという場面があった。1軒の街の洋食屋さんが、個々のお客の「今」に最大限寄り添う姿として描かれていた。嘗て「昭和」には東京でも、このような人情ある個人店がたくさん存在していた。国が「経済的地位」のみを指標に躍起になって「経済」を回し、「都市」=「幸福」という幻想を生み出し続けてきた。生まれも育ちも東京下町の小生であるが、そんな「経済」の空吹かしの中、より「人情」ある店舗や人との付き合いを選択して生きてきたような気がする。そしてこの4年間、初めて「地方生活」を始めた。其処には嘗て東京で小生が探し続けていた「幸福」があることを実感している。3年後には、また五輪が開催されることになっている。きっとまた東京は撹拌され、「生活」する場からはかけ離れた場所へ向かってしまうのではと懸念する。まさに日々を「暮らす」痛々しいまでに形式的な倨傲の集積が其処にあるような気がしてならない。

いい加減に「経済的地位」だけの「幸福感」から脱するべき
少子高齢化で一極集中都市はどうなって行くのか?
現在の僕には、料理屋さんも産直市場もパン屋さんも笑顔で出迎えてくれる「生活」がある。
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濫觴さまざま辿りて今に

2017-04-15
觴(さかずき)を濫(うか)べるほどの細流
長江も源流に遡ればそこから始まる
「細い流れ、流れの起源、転じて、物事の始まり。起源。起こり。もと。」
(『日本国語大辞典第二版』から)

漢語の持つ意味含有量は甚だ大きい。冒頭に記した「濫觴」なども「孔子家語ー三恕」に見える用例として、「孔子が子路を戒めたことば」と『日国』にある。故事成語のように、何らかの逸話・物語があって、そこで生じた含蓄ある「意味」を含み込んで二字や四字の熟語として通行する語彙となる。「矛盾」や「蛇足」というのもこれで、中学校教科書などでその原典を訓読した形で学ぶことが多い。こうした漢語を駆使するには、やはり漢文の素養が必要で、明治時代の漱石や鷗外などの文豪たちが漢籍の教養に長けており、漢詩なども創作していたのは周知のことである。中学校や高等学校の「国語」において「漢文」を学ぶのも、こうして日本語の基盤に「漢文脈」が存在するからであって、それを意識した「国語」学習をすることに考えが及ばない指導者も少なからず存在する。

一方で「和歌・短歌」は、明らかに「和文脈」を意識し発展・継承されてきた日本語表現ジャンルということになるだろう。江戸の漢学隆盛を受けて、明治の西洋文化の急速な流入。そんな社会・文化的背景の中で、西洋語の翻訳にも多く漢語が使用された。その上で平易でわかりやすい日本語表現を目指すならば、やはり「和語」が重要だということになろう。若山牧水の場合、その短歌表現は、「和語率」が高いことが既に「牧水研究会」の諸氏の評論で指摘されている。元来小生は、古代和歌に関する「漢文脈」から「和文脈」への様々な影響関係を研究テーマとしているだけに、こうした明治の短歌創作語彙の問題も実に興味深い。などと、ある方の歌集を読んでいて「濫觴」のタイトルがあったゆえ「漢籍の教養が高い」ことが窺い知れた。豊かな日常言語生活を考えるにも、「漢語」と「和語」の問題は決して無視できないのである。

「東アジア」の観点で日本語を考えること
短歌創作をするときの語彙選択を何如せむ
兵器による愚かな諍いではなく、言語的姉妹関係をもって対話を醸成するのが叡智であろう。
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