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テーマ詠「桜」ー宮大短歌会新歓歌会(1)

2024-04-17
宮大短歌会新年度初は新歓歌会、今月は毎週のように合計4回の歌会が設定されている。14日(日)に新歓祭というサークル紹介歓迎行事が行われ、いよいよ新入生に活動を味わってもらう時期となる。早速に1名の新人が歌会の席に並び、嬉しいスタートとなった。この日はテーマ詠「桜」、やはり「入学」と切っても切れない文化としてのテーマである。コロナ禍初年2020年には、4月から学校が開始できないことから「9月入学への移行」が取り沙汰されたが、まったく一時期の暴論であっさり議論もなくその声は消えた。世界的基準の9月入学にできないのは、「桜」のせいだと断言できるのかもしれない。

出詠9首参加7名、歌の素材は「並木」「進路」「サクラクレパス」「花びら」「さくらばな」「セイヨウミザクラ」「シャーペン」「眩さ」「デジャビュ」等であった。温暖化のせいか咲く時期が3月中旬ぐらいまでズレ込んでいるが、今年の桜は4月まで咲いたものの宮崎では見頃のないような感じで散ってしまった。「桜」が和歌短歌の詠い継がれて来たような時期に適う咲き方をしないのは、温暖化の文化面への侵攻とさえ思う。過去の名歌を見れば、日本人が咲くことを待ち儚く散ることにどんなにか時間意識を刺激されてきたのが明白だ。1000年以上の「花(さくら)」の和歌短歌史を引き継ぎつつ、宮大短歌会の新たな年度が始まる。


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即応

2024-04-16
新1年生を迎えた最初の講義、入念な準備を施していたがやや教室へ向かうのが間際になった。というのも講義の前の90分間にあるオンライン会議に出席せねばならず、会議終了がやや延びてやむを得ない事態であった。こういう時に限って教室のプロジェクターが上手く投影されず、しばらくあらゆる可能性を模索することになる。どうも手に負えないので事務の方を呼びに行くが、それでも投影には至らなかった。どうやら前に使用した人が、適切な電源の切り方をしなかったのが原因だということだけはわかった。講義開始から15分近くは経過しただろう、まったく新入生へ向き合う時間を、返して欲しいほどだった。

プロジェクター投影なしで「声の授業」で行おうと腹を括り、すぐさま大切な新入生へ向けて気持ちを切り替えた。「文学史(古典)」の講義の初回講義ガイダンスなので、声で「上代・中古・中世・近世」と読み上げて、「漢字で書けるか?」という問い掛けから始めた。通常であればスクリーンに投影された漢字をすぐに見てしまうところ、新入生は自分の頭で一旦は「音」を引き取り、漢字を考えた。用語としての漢字などはあくまで知識であるが、安易に提供するより「考えて」から自らの物にすることが肝要ではないかと思った。その後も「なぜ日本文学の古典を学ぶのか?」や「今、どんな作品を知っているか?」など「考える」時間が続いた。機材トラブルによる即応の講義であったが怪我の功名、「考えるための知識の提供」という方法が編み出せたようだ。


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即座

2024-04-15
新年度NHK短歌・第2週目の選者は俵万智さん。日曜日早朝6時という放映を観るために、平日並みに起床した。最近は「NHK+」と名付けられたWeb上で、1週間以内ならいつでも観られる。ゆえに、よく大学研究室で昼休みなどを利用して観ることが多かった。だがやはり「番組」というのは放映のリアルタイムで観る方が断然趣がある。もちろん生放送であるわけもなく、収録録画なのであるが日曜日早朝の空気感とこの番組は大変に適合している気がするのである。大河ドラマなどもやはり日曜日の夜でなくてはダメで、歴史的への様々な思いが翌週の活力になるものだ。

数時間の差であるが、日曜日に早起きすると休日が長くて得をした感覚になる。朝の報道番組を観てからしばらくは歌書を読み、昼時を迎える前に評判が高いというラーメン屋に初挑戦。少々並びはしたが、納得の味を堪能した。すると、まだまだ午後の時間が豊富に残っている。いささかプロ野球中継に興じ、その後は再び歌書を読むことに集中した。要点は「即座」に「今すぐ行動」をすること。一日の中でも「後でいいや」と思ったことは、たいていが「できない」で終わる。これを人生に引き伸ばすと、怖い気さえする。やりたいこと・やるべきことは「即座」に実行するに限る。


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杞憂

2024-04-14
むかしむかし、中国の「杞」という国に「空が崩れてきて身の置き所がなくなる」と心配して、寝ることも食事を摂ることもできない人がいた。この人を心配した人が「空が落ちてくることなどない」とあれこれ説明してようやく納得させた、という故事が『列子』という書物にある。もちろん地球が宇宙に存在する天体だともわからなかった時代、「空が崩れ落ちてくる」のを心配した人は少なからずいたのだろう。「杞憂」は故事成語となり、「無用の心配、取り越し苦労」の意味で現代日本語で通行する。

真相がわからないのに心配だけが先立つのは、現代でも変わらない。優しい人ほど、自らの解釈の上で「杞憂」を重ねに重ねてしまうことがあるだろう。だが真相と受け止めた解釈には隔たりがあることを知れば、むしろ無頓着で鈍感でいた方が生きやすいのかもしれない。野球の打者は、10回中7回を失敗しても「3割打者」として讃えられる。サッカーでは1得点さえできなくても「0−0」で引き分け勝ち点がもらえるかもしれない。もっとも現代では、空の皮膜が劣化し地球で人間が生きられないほど高温になるかもしれない誠の心配がある。傲慢すぎる人間を戒めつつ、必要以上の心配をせぬことが自分を大切にするということだろう。


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挨拶

2024-04-13
「挨拶はなぜするか?」という高校生の問いに、イチローさんが真摯に答える動画がWeb上にある。特別な答えではないが「相手に敬意を持つ」ことこそが「野球人として、人として大切だと思う」と真顔で答えている。中学校や高等学校で野球部に入れば、自ずと挨拶は教わるしある意味で「強要」されるだろう。だが高校教員をしていた僕自身の経験からすると、「挨拶」はやがて形式化し「敬意」が含まれないものになりがちである。競技の違いとしての部活環境に左右されるのか?むしろサッカー部の生徒の方が「親しみ」を持った「挨拶」をしてくれたように感じていた。

宮崎に住むようになって、散歩などで子どもたちを含み見知らぬ人でも挨拶をしてくれるのが嬉しい。何も「敬意」という大げさなことではなく、「人と人」が向きあったのだから「人として挨拶を交わす」という基本が生きているということだろう。「視野に入る」ということは、言い換えればその人の「心に入り込む」ことである。さすれば、やはりイチローさんの言う「敬意」が必然なのではないかと思えてくる。「野球」とか「教育」とかいう枠組みを超えて、挨拶が基本なのは全世界共通しているように思う。見知らぬ欧米人が道でニコッとするのは、「敵愾心がない」ことを伝えるためだと言われる。まずは向き合う「あなた」に「敬意」を示すことが、「戦争」を無くす第一歩だろう。


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仲間

2024-04-12
「仲」の文字には「にんべん」があり、「人と人との間がら」という意味がある。「仲介」と使用されるように、「なかだち」の意味での使用する場合もこの文字だ。もとより「伯・仲・叔・季」と「二番目の兄」という意味で、「仲兄」の語もある。長男は堅物で融通がきかないが、次男は要領よく社交的だという家父長制由来の俗信的類型も、この文字に起因するのかもしれない。それにしても、「仲間」という語の響きが好きだ。「ひととひととのあわい」人はみな独りでは生きていけないものだから。

「仲間」と呼べる人には、「ともに何かを成し遂げた」という共感する経験がある。その経験が苦しく困難な道であればあるほど、「仲間」で居続けられ再会の喜びは大きい。時が経過しお互いに立場は変わっても、苦しい時に寄り添った心が再起動する感覚がある。いま「寄り添った」という言い方をしたが、言葉でいうほど簡単なことではない。真に苦しい状況だと「わかる」だけではなく、身を以て等しく「汗をかく」ことが大切だと思う。教育現場の場合、「成し遂げた」先に子どもたちの成長がある。「ひとり」のためにともに行動してくれた「仲間」を、僕はどんな立場になっても忘れない。


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自分を何より大切にする

2024-04-11
くよくよして時間を浪費し、バカにしてくるやつを気にかけ、尊敬できない人に好かれるように気を遣う、気が合わない人のそばにいて、リスペクトがない人と仕事をしている、苦手な人をなんとか克服しようとして、余計な神経を他人にばかり使っている、自分を何より疎かにして、自分の最大の味方になる他者をあてどなく探し、猫背で日々を歩む、、、

作家の辻仁成さんが、Xに前述の真逆の内容を投稿していた。
「くよくよする時間はない/バカにしてくるやつは無視/尊敬できない人に好かれる必要なし/気が合う人のそばにいる/リスペクトのない人と仕事はしない/苦手な人は苦手のままでよい/余計な神経を他人に使わない/自分を何より大切にする/自分の最大の味方は自分/胸をはって行け!」

あなたは、どちらの生き方をしていますか?
辻氏がパリ在住なのは有名だが、さすがは個人主義の国。
否、「国」や周囲の環境など問わず「自分を何より大切にする」ことこそ生きることかもしれない。

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未来を探す

2024-04-10
「探」という漢字には希望がある。訓読み「さぐる」で「探険」、「たずねる」で「探訪」の漢語と解せる。漢字成分を解剖すると「穴」+「火」+「手」であり、「穴の奥の火を手でさぐり出す様をあらわす。」(『漢字源』学研)とある。温かく希望を照らす「未来の火」、どこにどのようにあるかわからないが、「手さぐり」で探険し探訪を重ねてやっと行き着くことができるのが希望である。「希望」の「希」は「稀(まれ)」なのであり、そう簡単には行き着くことができるものではない。

あらたにゼミに迎えた3年生たちと、年度始めにあたり話す機会を得た。大学4年間の折り返しにあたり、まさに自らの未来を探している。今後の2年間でどのような「探険」をし、どんな素敵な景色を「探訪」することになるのだろう。敢えて「険しきを探る」ことで、世の中の様々な出来事を「探し訪ねる」ように過ごして欲しい。その先でこそ真に「探究」できる社会人・教師としての道に通じることになるはずだ。「究」とは「穴」+「九」で穴の中の最深部(一桁の最大数)のこと、納得するところまでぜひ若さゆえ「探究の旅」を続けて欲しい。


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日向灘地震

2024-04-09
午前10時25分、研究室で仕事をしていると急な揺れに襲われた。すぐにドアを開け廊下へ出られる導線を確保し、書籍などの散乱に対して防護する体勢をとった。揺れが来たのちに「緊急地震速報」、これはたぶん震源域が近いということだ。SNSで情報を収集すると震源は日南市沖の日向灘、地震の規模を示すマグニチュードは5.2、宮崎市内は震度3であったが日南市では5弱を記録している。東日本大震災を被災した友人の研究者の体験を教訓にすると、書籍の散乱こそが大きな被災リスクになる。ガラス扉のついた書棚は、なおさら凶器の飛散があり得るということだ。

その後13時57分にM4.5最大震度2の地震、今もなお余震には警戒して過ごしている。あらためて日向灘の震源を考えると、今後30年以内にM7.5程度の自身が起こる確率は80%と云われている。「30年以内」というと呑気な話に聞こえがちだが、過去のM7クラスの履歴を確かめてみる。1996年(28年前)M6.9・6.7と2ヶ月の間に2回、1984年(40年前)M7.1、1968年(56年前)M7.5となっている。それぞれの間隔は12年・16年と小刻みであり、少なくとも直近の地震からは既に28年が経過しており地震のエネルギーは溜まっているはずだ。さらに遡ると、江戸時代1662年10月31日の「外所(とんところ)地震」では、大きな津波の被害を受けていることが知られる。まさに今すぐにでも昨日の本震としてさらに大きな地震が起こり得るかもしれない、と心構えをあらたにしている。


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車座・歌評者・四音+四音ー第391回心の花宮崎歌会

2024-04-08
新年度を迎え「心の花宮崎歌会」では、いくつかの新たな試みが始まった。約4年間に及び対面歌会が行われても「講義形式」で座っていたが、久しぶりにお互いの顔が見える車座に座席を設置した。発言者の顔がお互いに見えて、意見も言い易い雰囲気が作られた。会員数が増えたせいだろうが、車座がコロナ以前より大きく感じられたのはなぜだろう。出詠47首、歌会の欠席者を考えても40名前後の会員か集まる。新しい見学者も3名あり、益々宮崎歌会は盛況で多様な会になりそうだ。

歌評についての新たな試みは、会員から2名の「歌評者」が月替わりで担当すること。大口玲子さん(毎月常勤)とともに、この3名で歌評をまとめることになる。伊藤一彦先生・長嶺元久先生らは総評となり、いつでも発言できるが全体評をする形となった。また投票した歌への評は、選歌連絡先着順の2名に限定。多数の票が入った歌の場合、2名と視点が違えば自発的に発言することになる。議論すべき歌に適切に議論の時間を費やす、「歌会は2時間」という「幸綱語録」を考えるとまだまだ精選が必要なのかもしれない。

最後に歌評の覚書。下句「七音」の字余りについて、語の構成が「四音+四音」になると韻律が落ち着かないという指摘が伊藤先生からなされた。ちょうど『NHK短歌四月号』に穂村弘さんと佐藤文香さんの対談(第3回目)が掲載されており、「俳句」では「中八を避けるべき」とされるが「絶対ダメ」というより「四+四」だと「気持ちが悪い」のだという佐藤さんの発言を読んだ。「三拍」と「四拍」の微妙な差と余白のあり方が、韻律に大きな影響を与えている。こんな各句内の語構成に目を向けると、韻律の把握が豊かになるはずである。


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